WhirlWind

ある冬の日

Sherlock & John


 テムズ川下流域のほとり、堤防の上。風吹きすさぶ冬の午後、
 そんな気候をものともせずに、すっくと立つ人影がある。
 背筋をぴんと伸ばし、目に映る全てを見落とすまいと、周囲を探っているのはシャーロック・ホームズだ。トレンドマークと化した黒のロングコートの裾がばたばたとはためいている。首元には青いマフラーをきっちりと巻き、コートの襟を立てているが、それだけでは寒くないのかと、思わず心配したくなるほどすっきりとした立ち姿だ。

 ――まあ、でも。

と、傍で彼を見守るジョンは小さく苦笑する。寒くはないのだろう。いや、寒さを感じるどころではないのだろう。
 青白い頬は、冷たい風に嬲られて一層白さを増しているが、微かに紅潮している。それに透明度の高い青灰色の瞳と来たら。ファッジを与えられて喜ぶ幼子など目ではないほどに輝いている。
 つい午前中まで、「Bored」と繰り返し叫び、ジョンの銃を触ろうとして止められ、ふて腐れてカウチに転がっていた人間と同じだとは、とても思えない。
 ようやっと与えられた謎に興奮し、夢中になっている。堰き止められ、捌け口を失っていた思考が今フル回転しているのが、ジョンにもよく分かった。鼻も耳も真っ赤になっているが、彼はそんな自分に全く気づいていないだろう。
 厚く着込んだジャケットの上からなお染みこんでくるような寒さに、ジョンはぶるりと身を震わせた。湿度ある冷気と風が、芯から底から身体を冷やしていく。

「なあ、シャーロック」

 返事はない。当然だ。彼は今自分が拾い上げた情報を手がかりに、今回の事件がどのように起こったのか、様々な角度から検討分析し、そこに潜む真実を組み立てようとしているのだから。

「シャーロック」
「うるさい、ジョン。話しかけるな。考え中だ」
「返事をしたってことは、僕の声が届いてるんだろ。なら結構だ。で、そろそろ結論は出そうか」

 そう尋ねれば、シャーロックは鼻を鳴らして笑った。が、僅かにずっと音がしたのは気のせいではないはずだ。

「僕を誰だと思ってる。よし。犯人の手口はわかった。今から説明をする。犯人が残していった痕跡を見れば、全ては明らかだ。レストレードはどこだ」
「わかった。わかった、シャーロック。さすが君だよ。ブリリアント。是非君の推理を聞かせてくれ。レストレードだって、さっきからそこで待ちくたびれてる。でも、それ、熱いコーヒーを飲みながら聞くってのは駄目なのか?」
「…なんだって?」

 一体何を言っているのか分からないと言いたげな男に一歩近寄り、ジョンは手袋を取った手を伸ばすと、そのまま素手をシャーロックの首の後ろに突っ込んだ。途端に抗議の悲鳴が上がる。

「何をするんだ、ジョン!! 冷たいだろう…!」

 一歩飛び退き、目を見開いて叫んだその反応に、ジョンはしてやったりと笑ってみせる。当たり前だ。かれこれ二時間はここに居座って冬風に吹かれている。しっかりとはめた厚手の手袋が、すでに何の意味もなさない。

「すっかり冷えた。僕だけじゃない。君もだぞ。寒い。だから熱いコーヒーが飲みたい」
「僕は寒くないし、コーヒーはいらない」
「だろうな。僕が飲みたいってだけ」
「軟弱だぞ、ジョン」
「何とでも言ってくれ。死体はこれ以上冷えないけど、僕は人間だからね」

 そう言って踵を返し、たもとで待機しているヤード達の元へと足を向ける。

「君が寒かろうが、僕は寒くない」

 シャーロックはなおもそうぶつぶつと言っていたが、その時、川側から風が吹き付けてきた。ジョンは思わず首を竦ませたが、同時に背後で小さくくしゃみの声が聞こえるのを、確かに聞く。振り返ってみれば、相棒たる探偵が、赤く腫れ上がった鼻を擦りながら憮然としていた。

「…やっぱり寒いんだろ」
「寒くないと言った。君は耳が悪いんだな」

 どこまでも強情なこの男に、何とかして熱いコーヒーの洗礼を与えてやり、少しでも暖かいところで、名探偵の推理を聞かせてもらうことにしようと、ジョンは足を速めた。諦めたように後ろをついてくる足音を聞きながら。


- end -


2012/12
2012年冬ペーパー再録。

▲top