WhirlWind

記憶の河底に沈むチャイニーズ

Sherlock & John


「――ピァオリャン」

 居間の中心でラップトップを叩きながら不意に口から零れた声に、テーブルの向かいで新聞を読んでいたシャーロックが目を見開いてジョンの顔を見た。まじまじと、こちらの真意を探るような眼差しで覗き込んでくる。
「…いきなりなんなんだ、ジョン」
 同居人の予想外の反応に、果たして自分はそんなにおかしなことを口にしただろうかと、ジョンは首を傾げつつも小さく笑って返した。
「いや、何となく思い出してさ」
「チャイニーズを?君が?」
「僕がってどういうことだよ。あぁ、やっぱりチャイニーズか」
 思い起こされるのは一人の銀行員の殺害から始まった密輸事件。全てを紐解くキーワードは古代中国に起源を発する商用数字だった。
 どこか現実味の薄い事件だった。まるで異世界に足を踏み込んだかのような。ジョンの腕には、とらわれて縛られたときの縄目の疵跡がまだうっすらと残っている。時折思い出したようにそれをなぞりながら、ジョンは首を傾げずにはいられない。――異世界。実際そうだったのかもしれない。チャイナタウンはロンドンにありながらにしてまるで異質の世界だ。足を一歩踏み込めば、そこは何かの境界を越える。そして、己は確かに一つの境目を越えたのだと、ジョンは改めて思い知った。途中から巻き込まれるのではなく、シャーロックの相棒、同僚として関わった初めての事件。それは同時に、シャーロックが生きる世界を真に覗き見た瞬間でもあった。久々に味わった生死の境。死ぬかもしれないという恐怖は、死にたくない、どうしても生きたいというジョンの奥底に眠る生存本能を引きずり出した。こめかみに押し付けられた鋼鉄の冷たさと熱。恐怖によって増幅される興奮。己はここまで生に執着していたのかと、ジョンは自身に存在する純粋な欲望に震えた。彼の兄が言うように、まさしく己は「帰ってきた」ということなのだろう。血の臭いがこびりつく、ロンドンの戦場へ。
 それでも、今ですら遠い出来事であったようだと感じてしまうのは、事の顛末が異国の情緒を漂わせていたせいか。ただあの音が、歌うような音ばかりがリアルを耳奥に忍ばせるのだ。
事件の最中、闇に沈んだ美術館の中で、まるで鈴の音が空気を震わせるように小さく零れた声を、ジョンは唐突に思い出したのだった。

――ピァオリャン。

「あの子が…ヤオ・スーリンが言ってたんだよ。君聞かなかった?何となく響きだけ思い出してさ。ほらなんか綺麗じゃないか。ピァオリャンって。あとなんていってたかな…」

――ハオシャン…フェイツィ

 記憶を確かめながら慎重にうろ覚えの単語を舌に乗せる。
「まるで呪文みたいな言葉だよな。いや、歌かな。遊び歌みたいな。君のことを言ったんだと思うけど」
「何で僕なんだ」
 まるで意味がわからないと言いたげに、不審そうにジョンを見つめるシャーロックに、そうか彼の耳には届かなかったのかとジョンは首を傾げる。
美術品の修復の仕事を辞め、姿を眩ませながらも、自らの仕事を完遂しようと去ったはずの仕事場に密かに侵入していたスーリン。茶器が手入れされていることに気づいたシャーロックと共に、闇の中で侵入する彼女を待ち伏せた。
 唐突についた明り。同時に目の前に現れた長身の影に、彼女は息を呑んで茶器を取り落としたものの、目を見開いたままどこか陶然と呟いたのだった。ピァオリャン、と。
 あの響きを確かにシャーロックも聞いたと、そう思ったのだが。
「僕のことじゃないだろ。そんなはずはない」
 同居人はジョンの推測をばっさりと切り捨てた。
「でも、確かに君を見て言ったんだ。…フェイツィって、なんだ?」
「…翡翠だ。君も写真で見ただろう。1000年前に作られたという900万ポンドの中国の髪飾り。あれが翡翠だ。しかし、広東語を話すようだったから香港の人間かと思っていたが、もしかしたらもっと東か北の人間なのか。ピァオリャンなんて、香港では普通使わない。歌の歌詞には出てくるだろうが…」
 ぶつぶつと言い始めたシャーロックに、「で、どういう意味なんだよ」とジョンは再び食い下がった。
「あれ、誉めたんだろう?君を」
「…何で誉め言葉だと思うんだ」
「勘ってやつだ」
 もしそうでなければ、ああも微笑んで口にするものか。だが、シャーロックは渋面を解くことなく、むしろますます不愉快そうに眉根を寄せた。
「男に使う言葉じゃない。だから違う」
「あのな、違う違うと言われても、僕にはわからないんだ。どういう意味が教えろよ」
「…Beauty」
「っは、そりゃすごい」
――きれい。翡翠。
 そのキーワードを組み合わせ、改めてまじまじとシャーロックの顔を正面から見つめて、…ははぁとジョンは納得した。その顔つきに良からぬものを感じたのか、シャーロックの不機嫌そうな声がジョンを問いただした。
「なんだ、ジョン」
 理由を言えという要求に、ジョンは笑っただけで返さなかった。
「さあ」
「はぐらかされるのは気分が悪い」
「鏡見てこいよ」
 不機嫌そうな顔色の悪い男の顔に、二つばかりの宝石が埋まっているから。
 子供のように食い下がるのにヒントを与えてやれば、シャーロックは一瞬目を開いたものの、すぐにつまらんと表情筋全てで訴えた。
「馬鹿馬鹿しい」
 そう言ったきり、苛立ちを隠そうともせずに腰を上げて奥のカウチに移動してしまう。その背中を口端に笑みを刻んだまま見やりながら、ふと思い浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「何で翡翠だったんだろうな。翡翠って、そんなに特別?」
「中国では、ダイヤやルビー、サファイアよりも翡翠を尊重する。古くから高貴な石として扱われてきた宝石だ。首飾りや腕輪にして身につけている女性はとりわけ多い。母親が我が子に贈るものらしいな。子どもが生まれると母親は最良の翡翠をお守りとして身に付けさせたといわれている」
――災難や事故を免れるように。人の悪い感情から守られるように。
「…そうか」
 淡々と返ってきた説明にジョンはどうしようもなく胸が締め付けられるような感覚を覚えて、それ以上返す言葉を失った。
 果たして。彼女はそれを持っていたのだろうか。シャーロックを見て翡翠と呟いた彼女は、故郷の懐かしい風習でも思い起こしたのだろうか。災厄は彼女を襲って遠くへと連れて行ってしまったけれど。
 黙り込んだジョンに、シャーロックの静かな問いかけがあった。
「…君は彼女を哀れだと思うか?」
「わからない」
「悪い人間だった」
 はっきりと、シャーロックは告げた。
 兄と共にアヘンを運んだ。密輸を盗みを繰り返して生きてきた。そこから抜け出す方法も見つけ出せずに。
「その通りだ。でも…自分が犯した罪をわかってた。最後まで償わせてやりたかったな。勝手な感情だけど」
 銃声を聞いて急いで戻った作業室の隅、冷たい床の上でスーリンは仰向けに横たわっていた。彼女が抗った形跡はどこにもなかった。もとから覚悟していたのだろう。いつかこんな最期を迎えるのだろうと、よく分かっていたのに違いなかった。
 黒い蓮の折り紙を手のひらに乗せて、眠るように死んでいた。夢見る少女のように、微笑みすら浮かべて。
 最後、彼女は「兄」に出会えたのだろうか。それは誰にも分からない。
 彼女の兄は、自らが手にかけたのが妹であったと、気づくことはなかっただろう。その男も、結果的にジョンの手により、自らの命で犯した罪を購った。
 麻薬を密輸し、盗品を売買する日々。先の全く見えない、手を汚すばかりの日々からどうしても抜け出したくて、普通の暮らしを求めて逃げ出したロンドン。世界から摘み取った全てが、この国では淀みのようにたまっていて、価値のあるなしを問わず、集められてガラクタのように積みあがっている。彼女もきっとそんな一人だった。
 なぜ、彼女はこの地を選んだのだろう。
 結局自らの業から逃げ切れずに、追いつかれて命を散らしたアジアの娘。

『月光降り注ぐ、長江のほとりより、遠路はるばるやってまいりました』

 ブラックロータス(黒い蓮)の将軍、隠れ蓑である雑伎団の座長をも務めていた、あのシャンという女の口上を思い出す。
「なぁ、シャーロック。長江ってどんな河だっけ」
「中国大陸の中心を流れるアジア最長の河。全長は約6.300キロメートル。チベット高原を水源として東シナ海へ流れ込む。長江周辺は主要な工業地帯や商業地域が密集することで有名だ」
すらすらと淀みなく吐き出される言葉は、まるで本の一節を読み上げているかのように明瞭だ。
「君、もしかして行ったことある?」
「近くまでは。マイクロフトに連れ戻されたけどな」
 その口調にジョンは思わず笑い出しそうになった。島国を飛び出して大陸を渡るなんて、それほどに面白い事件でもあったのか。それともこの男にも…いやこの男だからこそ、鬱屈と衝動を爆発させる場を求めたのか。さもつまらなさそうに東までは行けなかったと言うシャーロックは、東の国に何を見つけに行こうとしていたのだろう。
 長江を、ジョンは知らない。名前だけだ。教科書で知ったのか、テレビで見かけたのか。数年過ごしたアフガンよりも更に東、ユウラシアの最果てを流れる河。
 ぐっと世界が小さくなり、飛行機さえあればどこへでも行ける時代だが、それでもチャイナは、現実味を持たぬ幻想の国だった。時折食事のために足を向けるチャイナタウンの独特な空気そのものがジョンの知るチャイナで、それはテレビや新聞で知るかの国の姿とはどこか決定的に乖離している。
 べったりとぬりたくられた艶やかな朱。ともすれば品がないとすら思える突き刺さるような黄。歌うような調べの言葉は、音だけを取り上げれば美しいが、大声でわめきたてられるそれは活気と喧噪に満ちている。
「どんな、河なんだろうな。あの子は見たことあったのかな。…あったのかもな」
 中国に長江があるように、ロンドンにはテムズ河が流れている。
 彼女が…彼らが遠く故郷を離れてロンドンに住みついたのは。拭いきることのできない懐かしい影を求めてのことだったのだろうか。
 出来るだけ身を隠して生活するのなら、もっと目に着かぬ場所もあっただろうに。狭い世界だとあれほど嘆きながら、結局彼女が身を寄せたのは狭いコミュニティの一つだった。
 逃れられなかった。故郷を、懐かしい伝手を頼らずにはいられなかった。
 月をきらきらと反射する長大な流れ。地に悠々と横たわり、闇に溶けていく見果てぬ眺め。
 一度も見たことのない長江という河が、ジョンの瞼の裏に浮かび上がって消えて行った。いや、それは単に、普段から見慣れたテムズ河の残像であったかもしれない。
悲哀も憎悪も後悔も、ほんのわずかに込めた希望さえ流れの中に呑み込んで滔々と果てへ去り行く長大な河の幻影。一本ののたうつ蛇のように、人の生をも絡めとって、見えないどこかへ運んで行く。
 その水面にきらりと反射する、音色。

――ピャオリャン

「ジョン」
 意識に割り込むようにして掛けられた声にジョンは目を上げ、名前を呼んだ相手を見た。
 カウチに寝転がったままの男の目がじっとジョンを見つめていた。その表情からは何の感情も読み取ることはできない。
「……なんだよ。シャーロック」
「別に。君は時々感傷的になりすぎることがあるようだから。それともなに。被害者が女性だったからフェミニストの君としては胸が痛むとか。デートも台無しにされたしな」
「そういう言い方は気に食わないぞ、シャーロック。わざとにしたって性質が悪い」
 ジョンは思わず椅子から立ち上がって言い返した。
 大体デートが悲惨に終わったことのきっかけを最初に作ったのはシャーロックだろうと、非難の色を込めて睨みつけたが、シャーロックはふんと鼻を鳴らしたもののジョンから目を逸らすことはしなかった。
 その双眸に引かれるように、シャーロックが横たわるカウチへとジョンは足を向ける。すぐ傍に立てば、一対の淡色の眼差しがジョンを静かに見上げた。
 薄い虹彩が部屋の明りを弾いている。
 確かに、光に透かしてみれば、シャーロックの両眼はうっすらと緑がかって見えた。翡翠の色。いや、正しくは翡翠とは緑色に限ったものではない。大きくわけても15色には分類できると聞いたことがある。石に含まれる物質によって、白や青、時に黄や橙と驚くほど多様な色を持つのだ。
 光によって様々に色を変えるこの男の瞳のように。
 だからこそ翡翠だったのだろうかと、どこかぼんやりと考える。そして翡翠は写真で見た骨董品の小さな輝きを思い起こさせ、ジョンは小さく息を吐いた。
「……900万ポンドか」
 笑いと言うには、幾らか乾いた声を洩らしたジョンを、シャーロックが不思議そうに見る。
「900万かって、そう思ってさ。あの女は、何にでも値段がつくといったけど。でも値段なんてつけられないのにな」
「さあ、髪飾りに関していうなら王朝時代の中国の女帝の遺産だからな。好事家が求めるアジアの秘宝となれば価値は相当なものだ。それが母から娘に贈られたものかどうかまでは分からないが、お守りの意味が込められた装飾品だったのは間違いないだろう。身に着けていた人間がどう考えていたかまでは知らないが」
「それに値段をつけて取引して、まして人が殺されるなんて馬鹿げてる」
「確かに馬鹿げてる。だが値段で…金で世の中のほとんどが動く。君も知ってるだろうけど、悪役が口にすることは概ね正しい」
「その通りだ、シャーロック。でも…でもさ」
「価値のないもので、人は死ぬ」
 ましてと告げられた声に、否定する要素をジョンは持たない。人は死ぬ。呆気なく。思えば、目の前のこの男は退屈で死ねるのだった。黙り込んだジョンにどう思ったのか、シャーロックはしばらく何も言わずにジョンを見つめていたが、やがてひどく難しい表情を浮かべてぽつりと呟いた。
「値段がつけられないものも…ある。多分」
「シャーロック? なんだ、君が思う値段がつけられないものって」
 意外な返答に驚きと興味を抱いて尋ねれば、シャーロックの眼差しが僅かに揺らいだ。ジョンから目を外し、どこへともなく部屋へと視線を彷徨わせる。
 思ってもみなかった反応に、一体どうしたのかと黙って見つめていると、薄い唇が開いて小さな声が零れた。

「…ポンヨゥ」

「ポ…何だって?」
 シャーロックが呟いた耳慣れぬ言葉にジョンは首を傾げて聞き返す。シャーロックは再びジョンに目を向けると、噛み砕くような緩やかさでもう一度告げた。
「ウォダ…ハオポンヨゥ」
「おい、意味がわからないぞ。それもチャイニーズか?」
 節をつけた独特な抑揚にそう見当を付けて尋ねたが、それ以上シャーロックが先を続けることはなかった。再び眼差しは逸らされ、ただ素っ気ない声が返ってくる。
「…そのうちな。僕にもまだわからないから」
――我的好朋友。
 保留しておくんだと言う。どこか思案気な、ともすれば不貞腐れたような口調と態度にジョンは引っ掛かりを覚えた。
「なんだよ、それは。…なぁ、シャーロック。君ひょっとして何か怒ってる?」
「別に。どうしてそう思うんだ」
「いや、だって」
 君って何でも説明しないと気が済まない性質のくせに、一体どういう風の吹き回しなのかと文句を口にしかけたジョンを遮るように、シャーロックは口端にいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「さあな。たまには自分で頭を使え、ジョン・ワトソン」
 辞書なら暖炉右側の本棚の上から二段目にあるから勝手にどうぞと言ってくる。
「待てよ。僕はチャイニーズ辞書の引き方なんて…」
 わからないと言いかけたジョンを、シャーロックが不意に見上げた。彼女が翡翠のようだと称した眼差しが揺らめくようにしてジョンを捉える。知らず息を呑むと、シャーロックの口が緩やかに開かれた。

「ヘン…ピァオリャン…ピァオピァオリャンリャン…ウォダポンヨゥ」

 低い、歌うような声だった。まるで子守歌のように、寄せては返すさざ波のように、緩やかに繰り返される音。囁きにも似た低い声が、艶を帯びて耳から流れ込んでくる。スーリンが紡いだものとはまるで異なる音色。シャーロックだけが奏でることの出来る、声。浸透する空気の揺らぎが、全身に熱を灯し包みこんでいく。そのまままるで呑み込まれていくかのような感覚に、ジョンは思わず眩暈を覚えた。

「やめろ、シャーロック。…もういい」

 やめてくれと、擦れた声を吐息のように吐き出してシャーロックを止める。
 何故?と不思議そうに目線だけで問うてきたのに、なんだか泣けてくるだろとそう言うと、シャーロックは顔を改めてから、ふっと口角を吊り上げた。どこか柔らかな笑みがほんの一瞬だけ浮かぶ。まるで残像のようなそれにジョンが目を奪われているうちに、シャーロックは寝そべっていたカウチから勢いよく身体を起こして立ち上がった。側に置かれていたケースからバイオリンを取り出す。
「おい、シャーロック?」
「何か弾こうか。何がいい。ジョン」
 首を傾げるような仕草で肩に乗せ、弦の張りを指先で確かめながら、何でも望むものを弾いてやると、気前よく言うのでジョンは少し考えて答えた。
「…トゥーランドット」
 東洋を題材にしたメロディで、とっさに思い浮かんだのはそれだけだった。求婚する者に難題と無慈悲を突きつける、美しく孤独な東洋の姫君の物語。
 あぁ、それでも。確かあの姫が最後まで求めていたのは、形のない値段もつけられないものだった。
 シャーロックが指摘する通り、これは実につまらぬ感傷だ。スーリンの死で何かが変わることはない。犯罪と死は潜む闇を変えて暗躍し続ける。ジョンもいつしか彼女を忘れる。彼女が呟いたチャイニーズを忘れることはないかもしれないけれど、そこに含まれたであろう彼女の悲哀は、いつしか自分の中で色褪せていくだろう。スーリンに思いを寄せていたらしいあの青年だけは、叶わなかった想いを心の奥底に抱いて生きていくだろうか。
 一時の感傷でしかないジョンのリクエストに、だがシャーロックは何も言わなかった。
「――As wished(お望みのままに)」
 勿体ぶった口調でそれだけを告げ、弓を取り上げる。そっと弦の上に乗せられた弓は、シャーロックの滑るような腕の動きに合わせて、最も有名なアリアを紡ぎ出していく。
「ピァオリャン……か」
 耳に残る、彼女の歌うような声を思い出しながら、ジョンはシャーロックの奏でるメロディと共に目を閉じた。

『真(ジェン)……漂亮(ピァオリャン)…好像翡翠(ハオシャンフェイツィ)』
――なんて、きれい。まるで…翡翠みたい。

『――――很漂亮(ヘンピァオリャン)』
――とても、綺麗ね。

 まるで咽び泣くような音色は、テムズ河の残影を静かに揺蕩っていく。生きる人の悲哀は後悔は、遠い音色と共に誰か記憶の底に留まり続けるのだろう。河の奥底に砂が降り積もるように、それはきっと。

- end -


2012/09/08
Pixivより再録。
▲top