画面の中で、男が一人舞っている。
いや、実際に舞っているのではない。だが、画面の中心にいるその男は、舞いのように美しく均整のとれた無駄のない動きで、ならずもの達を蹴散らしている。顔は見えない。分かるのは男が長身であり、黒いスーツをまとっているということ。
酒場と思われる狭い店内。天井に仕掛けられた監視カメラの映像なのだろう。白黒で鮮明ではないが、やや高い位置から眺める男の動きは際だっていた。正面からの一撃を身体を僅かにひねって受け流し、相手の胸元に叩き込んだと思う間もなく、背後から飛びかかってきた男を投げ飛ばす。男は仲間を巻き添えにしてテーブルに突っ込んでいく。それに目をくれることもなく、ナイフを構えた別の男の手首を捕らえて捻りあげると、横から切りつけようとした男にぶつけて盾にした。鈍い音。多分悲鳴が上がった。少し離れた場所で様子を見ていた男が懐に手を入れる。それをどう察知したのか、男はバネのように姿勢を整えると次の瞬間には構えた銃を撃っていた。いつ取り出したのかも見えない。
――両膝に一発ずつ。怖ろしいほどの早さと正確さ。
店内にいた十人ほどの悪漢たちは五分と経たぬうちに床に転がり、立っているのはスーツの男一人だけとなった。
斜め上からの視点でもそれとわかるバランスのとれた長身。その頭がゆっくりと動き、不意に天井の一角をとらえる。顔が上を見上げて男の面立ちが露わになる。目があったと思った瞬間、画面にノイズが走り、ぶつりと途切れた。
「どうだった?」
「…なにが」
「この映像だよ。ジョニーボーイ」
知らず息を止めて見入っていたようだった。横からのし掛かるようにして顔の横で囁かれた声にうっとうしげに眉を寄せ、つとめて冷静に返事をする。だが、ジムはくくっと喉の奥で笑った。
「すごかったでしょう。瞬きも忘れてたよ、きみ」
内心の動揺をあっさり看破されていることに舌を打つ。
街中で出会ったコンサルト犯罪者に、突然お茶でも飲もうよと誘われた。ジョンに拒否権はなく、一方的に引きずり込まれたカフェの隅で見せられたのが今の映像だ。ついでに言えば、彼はジョンの横にぴったりと座っていて大変邪魔だった。並んでラップトップを覗き込んでいる男たちに店のウェイトレスがちらちらと視線を送ってくる。どうせゲイだと思われている。ちくしょう。
「こんな映像、どこで手に入れたの。っていうか本物?」
胡散臭げに尋ねれば、「もちろん」と男はにっこりと笑った。
「偽物だったら見せたりしないよ。データは盗んだにきまってる。いや、盗ませてもらったのかなあ。よくいえばもらったってことだ。もう一度見る? そろそろ奪い返されて消去されちゃうから」
「いや、十分」
十分だった。目を奪われた。鮮烈な動き。一度見たら忘れられるようなものではない。まるで流れるように撃った。 ――銃を。
「それで。わざわざ僕にこれを見せた理由はなんだ?」
尋ねると、またジムが笑ったのが身体越しに伝わった。
「ねえ、彼の名前もね」
――ジョンっていうんだよ。
耳の中に吹き込まれた声が、ぞっと背筋を撫で上げる。ねっとりとした甘やかな声。反射的に振り上げた腕はあっさりとかわされて、ジョンはくそっと吐き捨てた。ジムが嬉しそうに目を細める。
「このジョンにはね、ボスがいるんだよ。大切な大切な飼い主がね。ある巨大な街で、一人のものすごい天才と手を組んで犯罪を未然に防ぐお仕事をしてるんだ。彼は天才の忠実なる番犬。君にちょっと似ている。僕はすごく天才と遊びたいんだけれど、何せ向こうは二人だからね。僕だって使えるペットが欲しい。ねえ、ジョン。君はあのジョンほどのエキスパートじゃあないけれど、医者の技術を持っているから、なかなかバランスは取れていると思うんだよねえ。天才の僕と君の銃。すでに起きた犯罪を誰かさんと解決するよりもさ、もっと大きくて楽しいことができるよ」
「帰る」
溜め息を吐いて立ち上がったジョンを見上げて、ジムはおやと首を傾げて目を瞬かせた。
「魅力的じゃない?」
さも傷ついたと言わんばかりの顔をしてみせる男を呆れたように見下ろし、ジョンは傍らに置いていた荷物を指で示す。
「僕は、家で待ってるあいつのために、牛乳と豆を持って帰らないといけないからね。お前のいう小さくてつまらないことで、手一杯なんだ」
「…へえ、それは残念」
にたりと男が笑う。淵から這い出る闇のように歪な笑み。
「お前は、一人で上手にお留守番ができるタイプだろう?」
「その通り。癪だねえ。お利口な人間ほど馬鹿をみる」
「お利口なら次からは普通にティーに誘えよ。じゃあな」
ジョンはそう言い捨てると、言葉を投げつけられた男がどんな顔をしたのかを見ることもせずに、荷物をぶらさげて店を出た。
歩きながら思い出すのは先ほど一度だけ見せられた短い映像。そして、一瞬だけ映った、スーツの男の恐ろしく彫りの深い顔立ち。荒い映像でも分かるほど、目元が印象的だった。あんな優しい目で、彼はどうして迷いもなく銃を放つことができるのだろう。拳を打ち込むことができるのだろう。何のために。…誰のために。
『彼にはボスがいるんだ。大切な大切な飼い主がさ』
「――馬鹿だな、全然似ていないよ」
ジョンは小さく微笑み、ベーカー街へと足を向けた。
- end -