dropping on the way


「風都まで、あと30キロか」
 メット越しに標識を見上げ、翔太郎は小さく呟いた。
 今回もペット探しだったのだが、いつものペット探しのようでいて、そうではなかった。そもそも依頼は電話、その後のやり取りも全て電話で行われた。
 それもそのはず、依頼主は風都市内ではなく、隣県に住んでいるということだった。正しく言えば、ついこの間まで風都に住んでいたのだが、引っ越しで移転してしまったのだという。依頼は、引っ越しでてんやわんやしているうちに姿を消してしまったチワワの捜索だった。引っ越しトラックの都合上、残って探すことも出来ず、引っ越し先でも慌ただしく過ごしていて風都に戻ることも出来ず、ずっと気を揉んでいたらしい。
 そこでとうとう探偵に頼むことにしたというのが、その経緯だった。ペット探しのプロとして名を馳せている鳴海探偵事務所の名が浮かんだのも、風都にいたころに噂を聞いていたからとのことだという。(翔太郎としては色々と言いたいことはある。)
 当の犬は割とすぐに見つかった――ガールフレンド宅に立ち寄っては餌をもらっていたらしく、そこであっさり御用となった――。しかし、問題はどうやって届けるかということだった。犬の健康状態に問題はなかったが、依頼人の心情を思えば、一刻も早く手元に返してやりたい。しかし当の依頼人は、どうしても風都まで来る時間が取れない。となると、やはりこちらから届けに行くしかない。ちなみに依頼人の家までは、国道を使って片道二時間ということだった。往復四時間は痛いが不可能な距離ではない。その分の経費も勿論出すということで、サンタちゃんの伝手でリュック式のペットキャリーを借り、そこにチワワを入れて運ぶことにした。
 むしろ一番の誤算は、何故かフィリップも同行すると言い出したことだった。これはいくらか一悶着あった。結局、遠足じゃねぇよと言っても引き下がらなかったフィリップにペットキャリーを背負わせることで解決した。つまり、ペットを背負ったフィリップを、翔太郎が後ろに乗せて運んだというわけである。
『俺は俺で、ペットを背負っている気分だ…』
 フィリップが聞けば憤慨したに違いないであろう一言をこっそり呟いたのは内緒の話だ。出発間際、確認のために振り向いたフィリップの顔がメット越しとは言え、何とも冷え切った光を目元に湛えていたので、翔太郎の考えなど相棒にはとっくに筒抜けになっていた可能性は否定できない。
 予想外のトラブルをクリアして何とか到着した依頼人の家。飼い主は、涙ぐみながらチワワを抱きしめ、暢気にガールフレンド宅でふらふらしていた当人も、飼い主の元に戻れてさすがに安堵したのか、依頼人に顔を擦りつけていた。

   
 そのようなわけで依頼は無事完了し、今は帰路の途中。ハードボイルダーを走らせる翔太郎の背中には、行きと同様、ずっとフィリップが張り付いている。
――ちょっと、休憩してくか。
 道の先にコンビニがあるのを見つけ、翔太郎は寄り道を決めた。すっかり日も暮れ、まだ街中までは距離がある閑散とした景色の中で、コンビニから発せられる光はやたら眩しく、暖かなものに見える。明りに群がる虫の気持ちが少しだけ分かる瞬間だ。
 遠出になってしまった今回の依頼は、既に完了されているが、事務所に帰り着くまであと1時間弱はかかる。挙句に後ろにはフィリップが乗っている。走行中は会話のしようがないのでしかと判断できないが、数度身動ぎしたのを感じたので、コンビニに立ち寄るべくバイクを減速させると、駐車場に向かってハンドルをきり、左折した。
空いた場所にバイクを停止させると、ヘルメットのシールドを上げて後ろを振り返る。後ろに乗っていたフィリップに降りろと目で合図すると、突然のルート変更に驚いていたらしいフィリップが自身のヘルメットを外しながらバイクから降りた。
「休憩かい?」
 あと、20分も走れば風都市内に入るけどと言われたのに、肩を竦めて答える。
「トイレ。あと、水分補給」
 ちょっと集中切れてきたしと付け加えると、なるほどねと、フィリップは小さく笑い、ヘルメットを外した頭をぶるりと振る。
ついこの前、さっぱりと切ってしまったフィリップの髪の毛は、少し汗ばんで顔の周りに張り付いていた。
 随分思い切りよく切ってしまったと思う。風に靡くほどに伸びていた毛先は、元の癖を僅かに残して跳ねるだけだ。何もこんな寒い時期に刈らなくてもいいだろうと、さすがにそう思って言ったのだが、気分転換だよとあっさり躱されてしまった。
 髪を切ることで、幼さが強調されるかと思いきや、少年期を脱しつつある精悍さとも呼べる空気が目立ち始めて、翔太郎は首を傾げたものだ。果たして己の相棒はこんな風貌をしていただろうかと、即座に記憶と現実の差異を埋められず、新しい髪形に慣れたのはここ数日のことだ。
 ただ一つ変わらぬことといえば、短い髪になってもなお、律儀にクリップが留められていることで、それが微笑ましくも少しおかしかった。
 翔太郎もメットを置き、2人並んで店に向かう。
 街道沿いのコンビニに、客は自分たち以外いなかった。退屈そうな店員が、一人で番をしているだけだ。
 コンビニのトイレで用を済ませて出てくると、フィリップが、レジ近くのケースを覗き込んでいた。背後に立った翔太郎を振り向くことなくぼそりと呟く。
「お腹すいた」
「家に帰るまで待てるか?」
「少し厳しいかもしれない」
「……だよな。俺も腹が減ってる」
 早めに昼を食べてからひたすらバイクを走らせている。少しでも依頼人の家に着きたかったし、依頼を果たした後は早く風都に戻りたかった。そんなわけで、2人ともほぼ休憩なしでここまで来ている。水分補給はしたものの、それだけだ。風を切って走っていると寒さが余計に空腹にしみて辛い。
「でも、ここで食うと夕飯食えなくなるぞ」
「平気さ。ところで夕食はなに?」
「昨日作ったシチューがまだ残ってるだろ。それ温めて、あとはパンとサラダ。まじで食うのか?」
「もちろん。成長期の胃袋を馬鹿にしない方がいい」
「そーでした」
――なら、軽く腹ごしらえといきますか。
 オレンジの蛍光が眩しいケースの中から、フランクフルトと唐揚げが刺さった串を一本ずつチョイスし、それから肉まんを選ぶ。客が少ないコンビニで、肉まんたちは、狭いケースに白い身体を並べて窮屈そうにしていた。
「お前、どれにすんの」
「ピザまんがいい」
「……お前って、味覚は裏切らないというか」
「なに?」
「何でもねぇよ」
「君が何でもないという時は、大体僕にとって気にくわない何かがある時なんだけど」
 些細な押し問答をしながら、温かい飲み物も一緒に購入してレジを済ませる。明らかに暇を持て余していた店員は、どこかぶっきらぼうながらも手際よく会計を袋詰めを済ませてくれた。お手ふきいります? と言われてお願いしますと返す。渡された袋をぶらさげて、来たときと同じように、フィリップと2人並んで店を出る。ありがとうございましたぁ! という声が、やたらと大きく背中に響いた。


 店を出たものの、特に食べる場所があるはずもなく、入り口の近くで立ち食いということになる。他に客もいないために目立って仕方ないが、他に選択肢もない。とっとと食べちまおうぜと提案して、まず肉まんを取り出そうとした翔太郎は、蒸したての熱さに思わず悲鳴を上げた。
「あつっ」
「僕が持とうか」
「お前のインナーが、今初めて羨ましいと思ったよ」
 手の甲までを覆った相棒の服装に、まさかの長所を発見しつつ、手の平にフィリップが選んだピザまんを乗せてやる。薄い紙に入れられただけの肉まんたちは、袋の隙間から湯気を立ち上らせていた。白い筋が夜の中ではくっきりと目に映る。その光景に思わず、ぐぅっと胃が縮むのを感じ、二人して顔を見合わせると、いただきますの声もそこそこに袋を開けて、白い生地にかぶりついた。
 あぁ、このふかふかと蒸し上がった食感が、なかなか自宅では再現できないのだ。手に伝う熱は、小さな幸せの象徴にすら感じられた。実に安価な幸福だ。そのささやかさに、密かに酔う。有名中華料理店などに行かなくても味わえる、コンビニの奇跡だ。
 はふはふと息を吐きつつも、あっという間に肉まんを食べ終え、もう一つの袋を開ける。こってりとした油の匂いが、熱気と共に紙袋から立ち上った。鼻を刺激する、大変にジャンクなこの香りが、今はどんな豪華な料理よりも素晴らしいものに思えてくるのだから、不思議なものだ。それぞれ串を持って、やはり無言で頬張る。翔太郎が選んだ唐揚げの串は、油分を多分に含んではいたものの、今はその脂っこさと濃い味付けが、疲労を覚え始めていた身体には、熱となって染みこんでくる。やっぱりたまにはこういうものもいい。
夢中で食べていれば、横から声がかかった。
「翔太郎、そっちも食べたい」
「おう。つか、お前のも寄こせ」
「構わないよ」
 互いに自分が手にしたものを相手に突き出し、目の前に差し出されたものにそれぞれかぶりつく。
――そういえば何か前もこんなことあったな。
 まるで男子学生みたいな所行だ。いや、どちらかといえば女子高生か。味見をしあうなどといったこと、それでも翔太郎とフィリップにとっては些細な日常の延長でしかなかったのだが、店員が、店の中から面白そうにこっちに視線を送ってくるのに気づいて我に返る。さすがに恥ずかしくなって、フィリップが持っていたフランクフルトから口を離した。
「翔太郎?」
「さんきゅ。あ、フィリップ。俺のも残り食っていいぞ」
 2個ほど刺さったままの唐揚げの串を、翔太郎はフィリップに押しつける。ものを少し入れただけで、翔太郎の胃袋は大分落ち着きを取り戻していた。これで事務所までは持ちそうだ。自他共に育ち盛りを認めるフィリップの方は遠慮の言葉もなく、残りの唐揚げに食らいついていた。相当にお腹が減っていたらしい。
 他に買っていた缶コーヒーをビニール袋から取り出し、プルトップを引き抜きながら、黙々と串にかじりつくフィリップを何となしに見つめる。
 棒を両手に持って、交互に食べている姿は、どこか可愛らしくすら映る。思わず笑いが零れそうになったのを感づかれたか、不審そうな視線が寄越されたので、慌てて缶コーヒーを口元に運んで誤魔化した。そこにフィリップが声をかける。
「翔太郎。僕にも一口」
「お前、ロイヤルミルクティー買っただろ」
「君のが欲しい」
 こうなるとフィリップは引き下がらない。普段缶コーヒーなぞ全く口にしないくせに、勝手なものだ。
「缶のコーヒーがどんなものか、味わってみたい。そういえば、飲んだことなかった」
 そんな勝手なことを言って、再度強請る。基本的にフィリップは翔太郎が自分の要望に応えないことがないと知っている。忌々しい話だが、特に断る理由も思いつかなかった翔太郎は、結局持っているコーヒーをフィリップに手渡してやった。
「……おいしくない。照井竜の方がいいね」
 ご満悦で一口飲んだ後、フィリップは顔を歪めて感想を述べた。案の定の返答に思わず溜め息が洩れる。
「比べようがねぇだろ。あいつは豆から挽くんだぞ」
「これなら翔太郎のコーヒーの方がまだマシだ」
「何だと、こら」
そう言われて、何と答えたらいいのやら。
「やっぱり。僕はコーヒーを飲むのなら、事務所で煎れたものの方がいい」
――あぁ、そーかよ。
「ごちそうさま」
 翔太郎の手に飲み終わった自分の缶を押しつけると、フィリップはさっさとハードボイルダーの方に歩き出す。ったくお前はと文句を言いつつも、翔太郎はゴミを袋にまとめて、コンビニの入り口横にあるゴミ入れに分別して押し込んだ。
 軽く手を払ったところで目を上げると、ハードボイルダーに向かっていたはずのフィリップが戻ってきて、こっちにひらひらと手を振っていた。
 何だ?と首を傾げていると、フィリップは笑みを浮かべて口を開いた。
「残りは僕が運転するよ」
 人気のない薄闇に、フィリップのさほど大きくない声ははっきりと響いた。
 つまりは、だから鍵を寄こせと言うことらしい。少し考えて、翔太郎はフィリップに後ろポケットに突っ込んでいた鍵を放ってやった。
 綺麗な弧を描いてフィリップの手元に着地した鍵が、チャリリと澄んだ音を立てるのが聞こえる。それをやたらと嬉しそうに取り上げて指先で遊ばせながら、フィリップはハードボイルダーに向かって再び歩き出す。その背中を翔太郎もまた、のんびりと追いかけた。
 一体どういう気まぐれなのかと思いつつ、鼻歌でも歌い出しそうな様子で鍵を差し込むフィリップに少しだけ嫌な予感を覚える。
 フィリップの運転は感情が如実に反映される。感情が荒れていれば、乱暴な運転になるし、テンションが上がっていればトリッキーな運転になる。その波は、翔太郎の運転の比ではない。それはダブルに変身している時を思わせる。ソウルサイドを支配するフィリップの精神力は、翔太郎のボディサイドに影響を及ぼす。例えば怒りに震えるフィリップの感情が、翔太郎の闘志を一層燃え上がらせ拳に力を吹き込むように、研ぎ澄まされた集中力が、正確な狙いでもって翔太郎にトリガーを引かせるように。自身から吹き出す感情が、マシンを包み込み、フィリップと一体化してハードボイルダーを走らせる。まるで風のように。
――さて、今回はヒートのノリかルナのノリか。はたまた文字通りのサイクロンか。
 ついこの間後ろに乗ったときも、散々味わった暴走ぶりを思い出し、翔太郎は小さく肩を竦めた。
 今は夜で、集中力も体力もつきかけ、仕事終わりで気も緩んでいる帰り道だ。フィリップの集中力が底なしであるのは知っているが、限界値を超えると電池が切れたようになることもよく理解している。
 バイクにキーを差し込んでいるフィリップの元に辿り着くと、翔太郎は自分が後ろポケットに突っ込んでいたままの手袋をフィリップに押しつけながら言った。
「フィリップ…いっとくけど安全運転で頼むぞ…」
「心配は無用だよ翔太郎」
 フィリップは、至極ご満悦といった風でにこりと笑った。
「なぜなら僕は今、とっても気分がいい」
 事務所までは、まだ距離があるけれど、腹が満たされて、温もりも取り戻して、それだけで何もかも手に入れた満足感が全身に充ち満ちている。全く、人間とは実に現金な生き物だ。
 さっきまで、荷物よろしく背中で揺られていた人間とは思えないほど、自信たっぷりにフィリップは言いはなった。
「だから安心したまえ」
「だから心配なんだ」
「今なら、どこへでも行けそうな気分だ」
 ――それどころか、何だって出来るかもしれない。
 ヘルメットを装着し、バイクにまたがってエンジンを起動させながら、とんでもないことを言い出した相棒に溜め息を吐く。
「とりあえず、事務所に向かってくれ」
「翔太郎!」
 途端に上がる不満の声。釘を刺されて口を尖らせたであろうフィリップを察して、翔太郎は思わず笑い出しそうになった。気の向くまま、風の向くまま。それがフィリップで、翔太郎はそんな相棒の性質が好きだった。寧ろ自分たちにはそんな在り方こそが相応しい。
 ハードボイルダーの後ろに跨りながら、小さく付け足してやる。
「まぁ、その何だ。ルートはお前に任せるから」
「……了解した」
 一拍を置いた後、弾む声が背中越しに響いて、翔太郎もまた密やかに笑みを浮かべた。
仕事終わりの帰路が、少し長めのドライブに切り替わったとしてもそう悪くはないだろう。

- end -


2012?夏インテペーパー
ごはんシリーズの番外編として配布したものです。
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