Beautiful World


 英雄が、赤子を育てていると聞いた。
 彼らの故郷が海の下に沈み、我々と同じく新天地にたどり着いたばかりであるというのに、戦禍の最中で新しい命が生まれ落ち、それを二十歳そこそこの……まだ少年の面影を色濃く残す独り身の青年が世話をしているという事実は、奇跡というよりむしろ奇妙に感じられた。
 ときどき、まだ更地でしかない島の浜辺を、闇色の軍服をあるいはシナジェティック スーツを纏ったまま、産着に包んだ赤子を抱えて歩く姿を見かけた。
 それは決まって、フェストゥムの襲来がない、よく晴れて海が凪いだ日だった。波の音に混じって遠く子守唄を歌う声が聞こえていた。
 その光景は異様なほど優しく、死の行軍を経て多くを喪った私にはどうにもちぐはぐ で、ただ疑問を抱くことしかできなかった。
 ある日、たまたま浜辺で遭遇した彼に私は問いかけていた。

「嫌にならないんですか、この世界が」
「なんでだ?」

思いもよらない不思議なことを聞かれたというように、その人は黒髪を揺らして小首を傾けた。子供のような幼く透きとおった表情を浮かべ、琥珀の双眸を瞬かせる。

「ここは、あいつがいた世界なのに」

 瞬間、波の音が遠のいた。
 あいつ、と呼ぶその声は、歌を口ずさむかのようにひどく甘く、優しく、おそろしいほど明瞭に響いた。
 そうして腕の中の命を見下ろし、彼は滲むような柔らかな笑みを落としてから、赤子に頬をすり寄せるようにして抱きしめる。

「こいつが、生まれた世界なのに」

 英雄はどこまでも穏やかに笑い、私はその様をただ呆然として見つめた。


2018/07/06 up
文庫ページメーカーより再録(09/01)
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