ドロップ★ドロップ


 イチゴ、ブドウ、オレンジ、レモン。
 食べなれたドロップの味。
 手の中の缶を揺らすと、中のドロップがぶつかって、カラコロと賑やかな音を奏でる。
 遊びに出た総士と帰り道を歩きながら、一騎はおやつにもっていたドロップ缶から飴を取り出して食べていた。
 口の中から飴がなくなるたびに、総士と交互に缶を揺らす。一騎はブドウ味を食べ終えてしまい、次を舐めようと総士から受け取った缶を逆さに振る。
 手のひらに落ちてきたひとつを確認もせず自動的に口に放りこんで、一騎は顔を顰めた。ああ、ハッカだこれ。
 あまりハッカは好きではない。甘いのにすうすうとして、口の中が痛いような痺れるような変な感覚になる。
 一騎の顔を見て、総士がくすりと笑った。

「一騎、今ハッカをひいたでしょ」

 わかりやすい自分に気落ちしつつも、その通りだったので一騎は頷く。
 さっさと噛んでしまえば、ドロップは口の中からなくなる。そのかわりに口の中いっぱいにハッカの味が広がることになるけれど、我慢すればいいだけの話だ。
 あとは飲み込んでなかったことにする。口直しに別のドロップを舐めれば、すぐにハッカの味はわからなくなってしまうだろう。
 飴を奥歯の間に挟み、カリリと力を込めたときだった。

「だめだよ」
「え?」
「噛むのはだめだよ」

 頬に手を添えられ、制止された。
 歯が痛んじゃうよと、総士がいう。でもじゃあどうしよう、吐き出すのはもったいないと思っていると、眉と下げて困惑する一騎を見て総士が笑った。
 その顔が思ったより間近にあるのに一騎は驚いた。
 一騎には、総士の眼の中で大きく目を見開いている自分の顔がはっきり見えた。
 総士は紫がかった灰色の目を柔らかく細めて言った。

「僕がかわりに食べてあげる」
「そ、」

 名前を呼ぼうとした声は、音にはならなかった。総士の口の中に吸い込まれてしまったから。
 一騎の唇に、総士のそれが重なっていた。
 柔らかいものが押しつけられているのを感じると同時に、開いた唇の間から、ぬるりとしたものがすべりこんでくる。それが総士の舌だと認識して、一騎は驚きに立ち尽くしてしまった。
 動けない一騎をよそに、総士の舌は一騎の口内を探るように触れていた。びっくりして縮こまってしまった一騎の舌に、総士の舌が絡む。
 柔らかく弾力のあるものがぬるぬると触れあう感触は未知のもので、一騎は完全に混乱していた。予測もつかない動きで這い回る自分のものではない舌は、まるでそれだけで生き物のようだ。
 気持ち悪いような、それでいて気持ちいいような感覚が、背筋をぞくぞくと駆け上がっていく。
うまく呼吸ができなくて、苦しさのあまりに息を洩らすと、「っん」と鼻を抜けるような声が響く。総士がかすかに笑う気配をみせたこと、零れた声がまるで自分のものではないように思えたことに、かっと全身が熱くなる。

 ――や…っ。

 目を閉じ、反射的に総士の身体を押しのけようと肩を掴んだが、とたんに舌を柔らかく食まれて身体が震えた。
 いつの間にか首の後ろにまわされていた手が一騎の頭を固定し、仰け反ることさえ許さない。簡単に振り払えるような緩やかな拘束だというのに、一騎の身体からはそれだけでどうしてか力が抜けてしまった。押しのけようとしたはずの両手で、総士の胸元に縋りつくのがせいいっぱいだった。

「うっ、あ、ふ…ん」

 息苦しさに涙が滲み、靄がかかったように思考が霞んでいく。それなのに総士の舌の感覚だけがリアルだ。一瞬一瞬が途方もなく長く感じる。
 総士は何を考えているのだろうと思って、閉じていた目を恐る恐る開き、一騎は今度こそ心臓が止まりそうになった。
 普段理知的で、年に見合わぬ穏やかを持つはずの総士の双眸が、食い入るような鋭さで一騎を捉えていた。炎が揺らぐような熱を孕んで一騎を見ている。

 ――そうし?

 凍りついた一騎をよそに、やがて一騎の舌の上から目当てのものを探り当てると、総士の舌は器用にそれを掬いとり、やっと一騎の中から出て行った。
 唇が離れると唾液がつうと糸を引くのが見えて、一騎はなぜかいたたまれなくなった。
 知らず止めていた呼吸を荒く繰り返しながら、呆然として総士を見る。そこにはさきほど感じた背筋が震えるような激しい色はどこにもない。
 総士は、一騎に向かって嬉しそうに自分の舌を一騎の前に伸ばしてみせた。
 その上にはハッカドロップが乗っている。ドロップは、一騎が缶からつまみだした時よりも二回りほど小さくなっていた。
 赤い舌の上に、白い白い飴が乗っている様は、ひどく倒錯的だった。二人分の唾液に濡れたドロップが、太陽の光を受けてぬらぬらと光っている。
 一騎に見せつけるようにしてから飴をもう一度口の中に含むと、ころりと音を立てて転がしながら、総士はにこりと笑った。

「これで、大丈夫だよ」

 もう僕がもらっちゃったから。

「っ…」

 ぞわりと、全身に怖気のようなものが走る。頬が熱くなり、真っ赤に染まっていくのを感じた。

 俺がなめてたもの。俺の口の中に、あったもの。
 俺の。

「総士…っ」

 一騎は総士に両手を伸ばしてその肩を掴んだ。ぎゅっと目をつぶり、総士の唇にぶつけるようにして、自分のものを重ねる。
 総士がしたのを真似て、口の間から自分の舌をぐいと押し込むと、一生懸命に舌を伸ばし、総士の口の中にあるドロップを探り当てて奪い返す。がつりと歯があたる衝撃、ぐちゅりと唾液が絡まる音がやたらと生々しく響く。
 それらを聞かなかったふりをして、一騎は総士から唇を離した。

「一騎?」

 総士が驚いたように一騎の名前を呼んだ。
 一騎は唾液で濡れた唇をぐっと拳で拭うと、涙の張った目で総士を見つめた。

「これは俺のだから、ちゃんと…自分で食べる」
「…うん。わかった、一騎」

 そう言って総士は目を細めた。総士の指先が一騎の唇に伸ばされる。拭いきれなかった唾液を撫でるようにすくい取ると、ぺろりと舐めた。

「でも、次ハッカをひいちゃったら先に教えて」

 僕が半分食べてあげるからと、嬉しそうに笑った。


- end -


2016/03/24 pixiv up
この皆城くんは小説版に育つ。
浅田次郎『蒼穹の昴』で、春児と蘭琴がサンザシを食べてるシーンをリスペクトしています。
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