孵化するぼくら
「暉、卵四個分溶いてくれ」
「はい」
ランチタイムが終了し、暉と二人の賄いを作るために、一騎は鍋に火をつけた。
ランチでカレーはほぼ出尽くしてしまった。残ったカレーで、ごはんを炒めてカレー味のピラフにしようと考えた。それを卵焼きで包んで、オムライスにすればきっとおいしい。
あるもの、残ったもので料理を考えるのが一騎は好きだった。こんなときに、自分は料理に向いているのだと小さな自覚をする。
一騎の動作と注文で、暉も一騎が何を作ろうとしているのか悟ったらしい。
冷蔵庫から言われた数の卵を取り出し、用意したボウルのふちに卵を打ちつけようとして、ふっと暉が動きを止めた。
熱した油に、刻んだベーコンを加え、追加で玉ねぎとニンジンをいれようとしていた一騎は首を傾げた。
「どうした、暉」
「…ねえ、一騎先輩」
「卵が孵化するときに《かえる》っていうの、不思議だって思いませんか」
うまれてくるのに、かえるなんて。
ジュアッという音とともに、材料を炒めはじめながら一騎も首を傾げた。
――孵る、うまれる。…かえる。
確かに言われてみれば、奇妙な表現だった。
「どうして《かえる》なんて言葉、あてたんだろう」
考えたら気になっちゃってと、暉は続けた。
「ねえ、一騎先輩。俺たちって、人工子宮から生まれてくるでしょ」
「そうだな」
一騎は、アルベリヒド機関に設けられた一室を思い起こした。
壁にはりつくように並ぶ、人工子宮コアギュラ。その中で、島の子供たちは命を与えられ、育つ。遺伝子レベルから操作され、島を守るために必要な人材として生きることを望まれ、誕生する。
あれを目にしたとき、まるで虫の卵のようだと一騎は思ったのだった。
「俺たちも、卵から生まれてくるようなもんですよね」
一騎の心に同調するように、暉は言った。
――卵を割って、生まれてくる。
自分たちもまた、孵化によって誕生する。かえる。
そういえば、フェストゥムも《卵》から生まれるのだという。中心に輝くコアを取り囲むように、天井まで壁にびっしりとはりついたフェストゥムの卵。あのヴィジョンを、自分は来主操によって見たのか。それとも総士に教えてもらったのだったか。
総士も、あの卵の一つの中で身体を構築していたのだという。新しく生まれるために。
そうだ。あれは、フェストゥムのコアギュラだった。命を生み出す方法もまた、彼らはこの島から学んだのだろうか。
ああ、俺たちもフェストゥムも一緒だ。あの黄金色の生き物と、なにも変わらない存在なのだ。
一騎はそんなふうに理解し、納得したのだった。
材料を炒めている一騎の横でカツンコツンと固い音がし、暉が卵を割る。透明な白身に包まれて、鮮やかな黄色がつるりとガラスボウルの中に滑り落ちた。横目に見たその色は、強く一騎の目に焼きついた。
これは自分たちが食べるために用意された、受精を許されなかった卵だ。
永遠に孵化することを許されなかった卵。…命になれなかったもの。
あのコアギュラの中で、生まれることなく死んでいった命はあったはずだった。あれは命を生む《実験》であり、《研究》だ。一騎はよく知っている。そこに貴賤の差などない。適合したか、しなかったか。それだけの違いだ。卵の殻を破れなかった命。かえらなかった命。
ならば、孵化した自分たちはなんなのだろう。それをどうして《かえる》なんていうのだろう。
動かす手を止め、いったんフライパンの火も消して、一騎はもう一度首を傾げた。暉の疑問はもっともだった。
暉を振り返り、静かに尋ねる。
「お前は、答えを見つけたのか?」
暉は少しためらっていたが、用意した卵を全て割り終わってから手を止めた。ボウルに浮かぶ卵たちを見つめながら口を開く。
「俺は…俺たちは、生まれることでやっと帰ってくるんだって、帰る場所を見つけたんだって、そう思ったんです」
それは自分に言い聞かせるような声だった。
「ここに…生きる場所に《かえる》。そこに選択肢はなくて、いま与えられた場所で生きながら、今度は永遠に帰る場所を自分で、選ぶんです。…それが生きるってことなのかなって」
――かえる。そして、生きる。
ふわりと、一騎の口元に笑みが浮かんだ。苦しくなるような温かさが、一騎の胸を締めつける。
「暉、お前そんなこと考えてたのか」
「だ、誰にも言わないでくださいよ! 俺の…勝手な考えだから」
口にしてから恥ずかしくなったのか、暉が目元を染めて噛みつくように言った。
「わかった」
頷いて、目を細める。そしてつけ加えた。
「俺は、お前のいうとおりだと思うよ」
――俺たちは、帰ってきたんだと思うよ。
『この家が、お前の帰る場所であることが俺と母さんの願いだ』
そう言った父の言葉を思い返しながら、一騎は微笑んだ。
――そうして、俺たちはまた帰っていくんだと思うよ。
それがどこなのか、まだわからないけれど。
俺も、お前もこの先どこに行くのか、まだ誰にもわからないけれど。
暉にとってのそれが、光あふれた優しい場所であるといいと少しだけ思う。
かつて暉は、父母の場所へ帰ろうとしていた。そこに辿りつこうと願っていた。
それではいけないと気づいたとき、暉は自分の場所を見つけた。殻を破り、言葉を取り戻した。孵化したさきで、更に孵化した。
生きる場所を見つけること。その理由を見つけること。
それが孵化を許された存在の特権であり、役目であり、使命なのかもしれなかった。
「そう…ですか」
「そうだよ」
一騎の言葉に、暉はそれ以上なにも口にしなかった。ただガシャガシャと勢いよくボウルの卵をかき混ぜはじめる。その耳がほんのわずかに染まっているのを見て取って、一騎はもう一度笑みを浮かべるとピラフを作る作業に戻った。
やがて炒め終わったごはんを大皿に取り分けていると、暉が声を上げた。
「あ、卵焼くの、俺やりたいです」
「そうか」
「今日こそ、うまくやりますよ」
オムレツとオムライスを綺麗に作ることに、このところの暉は奮闘している。
「期待してるな」
任せたと、笑うと、腕まくりをした暉が真剣な顔で溶き卵の入ったボウルを手に取った。
- end -
西尾家の双子は、暉と一騎、里奈ちゃんと総士の組み合わせが好きです。