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つちあそび


 総士が仕事を終えて帰ると、家には一騎一人だった。いつも一騎と一緒に玄関まで賑やかに走ってくる、小さな足音とおかえりの声がない。
「おつかれ、総士」
「そうしはどうしたんだ?」
 迎えに出てきた一騎に持っていた鞄を預けながら尋ねると、「父さんのとこ」と返ってきた。
 総士が研究室で、そして一騎が喫茶楽園で仕事をしている間、そうしは楽園のすみっこで過ごしていることもあるし、遠見家や真壁家の世話になっていたりもする。この前は、操や美羽とひとり山まで遊びに行っていたし、西尾商店で行美や里奈と店番をしていたこともあった。今日は、真壁家で、一騎の父親である真壁史彦と過ごしていてまだ帰っていないらしい。
 小さな島は、暮らす住人のほとんどが顔見知りだ。総士や一騎の手が回らないときは、周りが当たり前のように手助けをしてくれる。島に生まれる子供は、島に暮らすみんなの子供。自分たちも、幼いころはそうやって見守られ、育てられてきた。
「今日は一緒に楽園に行ったんじゃなかったのか」
「そのつもりだったんだけどさ、この前父さんと一緒に作ったやつの焼成が終わって窯出しするっていう電話があったから、大興奮で見に行った」
 それはものすごい喜びようであったらしい。その様子を思い出したのか、一騎はくくっと笑った。
 史彦は器屋を営んでおり、二階建ての住居の一階が工房と店舗になっている。もとは一騎の母親が陶芸を始めたものらしい。一騎の母が亡くなったあとも、史彦はその仕事を引き継いだ。まともな器が作れるまでにかなりの試行錯誤があったそうだが、今では島の住人たちの日常に寄り添う必要な存在だ。総士たちが普段食事に使っている器も、そのほとんど史彦の手によるものだ。
 器屋ではガス釜を使っていて、釜焚きが始まると、一階の壁の側面から突き出て空へと伸びる銀色の煙突から、白い煙が静かに上っていくのが見えるのだった。
 一騎もときどき実家に戻って、土を採りにいったり、ろくろを回したりしている。何か考えごとがあって思考がまとまらないときに、土に触れて捏ねていると、こんがらがっていたものが不思議とまとまって形になるのだという。もちろんそうでないときもあって、そういうときはどんなに土と対話しても全然ダメ、ということだった。心のありようがすべて土に表れるのだと一騎は言っていた。
『土は、自分の心のかたちを教えてくれる』
 歪みもまたひとつの答えということらしい。
 とにかくまずは触れてみろ、というのが真壁家に受け継がれるモットーだ。その影響を受けたのか、単に好奇心が勝ったのか、庭でよく土をいじって遊んでいたそうしは、真壁家の器作りに興味を示すようになった。土が水を含んで粘土になり、それが人の両手で形を成していく過程を、目をきらめかせながらすごいとはしゃいだ。
 電動ろくろは難しいので、史彦に抱きかかえられながら触れる程度だが、手ひねりで茶碗のようなものや、土人形をこしらえたりしているらしい。そうやってあれこれ作ったものをいよいよ焼くと聞いたそうしは、釜出しの日を今か今かと待っていたのだった。
「もう暗くなるし迎えに行こうと思ってたとこ」
「それならば僕が行こう」
 脱ぎかけた靴をもう一度履き直す。夕食の準備をしていたのだろう一騎はエプロン姿のままだ。自分が行った方が負担が少ないだろう。
「ほんとか。助かる」
 一騎がほっとしたような顔を見せた。
「帰ったばっかなのに悪いな」
「問題はない」
「二人が戻ったらすぐ夕飯にするから。あ、ついでに父さんに届けものしてもらってもいいか」
「ああ、構わないが」
 一度居間の方に引っ込んだ一騎は、すぐに紙袋を手にして戻ってきた。前もって用意がしてあったらしいその中には、タッパーがいくつか収まっている。どうやら今日の夕飯のおかずらしい。
「父さん、多分米しか炊いてないと思うからさ」
 長年父と二人暮らしだった一騎は、その性格や暮らしぶりをよく知っているのだろう。食べるものがないと、たくあんと白飯だけで済ませたりするのだと、ときどきこぼしていた。そこに冷ややっこをつければ上々。もちろん葱を乗せたりはしない。
 受け取った紙袋の底に触れればまだ十分に暖かかった。蓋越しに、きんぴらごぼうや骨つき鶏肉と大根の煮物らしいものが見える。途端に空腹を覚え、思わず腹が鳴りそうになった。これは早くそうしを連れて帰ってこなければ。何か重要な用事でもない限り、家族三人が揃って食事をするのが自分たちの決まりごとだ。
「責任を持って届けよう。ほかに何かことづけることはあるか?」
「うーん、なるたけ早く食べろよってことかな」
「了解した」
「タッパーは俺がまた取りに行く」
「そう伝えよう」
 一騎と父親の率直で素朴な関係がうかがわれ、思わず笑みがこぼれる。夕食の入った紙袋を持ち、総士は真壁家へと向かった。


◇ ◇ ◇


 真壁家はここから歩いて十分ほどの、やはり急な坂道の途中にある古い日本家屋だ。総士たちが暮らす家よりは海に近い。だから真壁家に向かうときは下りになり、帰りは坂を登ることになる。家に続く石畳が敷かれた階段はやはり急ではあるが、足場としてはしっかりしており、緩やかにうねりながら海へ向かって伸びている様子は、風情があって大変美しい。幼いころは、よく一騎と走って階段を行き来していたことが思い出される。
 あの日よりはゆっくりとした速度で、蛇行した斜面を下って行けば、夕暮れに沈む島と海、そして向島の様子がよく見えた。橙色から紫、群青に移り変わる空の色。東の方から星が白く瞬きはじめている。海もまた空の色を映して揺れる波に合わせて色を変える。斜面から海傍にかけて建つ瓦屋根の家々の明かりがポツリポツリと増え、次第に明るさを増していく。あの光の数だけ、人の命と生活がある。そのすべてを抱いて静かに呼吸する、島の存在を感じられる時間だった。
 真壁家にたどり着けば、石畳の階段に工房からの明かりが落ちていた。
「お邪魔します」
 声をかけて鍵のかかっていない引き戸を開ければ、あ!と子供の甲高い声が響いた。
「総士だ! どうして?」
「総士くんか。いらっしゃい」
 じっとりとした土の香りが清々しい。工房ではそうしが床板の上に座り込んで筆を握っていた。どうやら、一度焼き上がった皿に絵付けをしていたらしい。皿は真っ青に塗りたくられ、人影のようなものも見える。
 史彦はというと、その隣でろくろに向かっていた。息子とは似ても似つかないがっちりとした体格にタンクトップだけを身に着け、首にはくたびれたタオルをかけたいつものスタイルだ。だが、総士を見て細めた穏やかな眼差しは、不思議と一騎によく似ていた。
 史彦に向かって軽く頭を下げ、絵筆を握ったままのそうしに声をかける。
「お世話になっています。一騎の代わりに迎えにきました。そうし、夕飯の時間だ。帰るぞ」
「ええもう?」
「もう暗くなってる。一騎が待ってるぞ」
 その言葉に夕飯のことを思い出したのか、まだ塗りかけの皿を見つめて一瞬渋ったものの、子供はすぐに散らかしていたものを片付けはじめた。
「また続きをやりに来なさい」
「はあい」
 そう返事をして、工房の隅に手を洗いに走っていく。その背中に視線をやりながら、総士は史彦に一騎から預かったものを手渡した。
「わざわざすまんな」
 少しはにかむような笑みを見せた史彦に、総士は焼き物の出来上がりについて尋ねた。
「どうでしたか?」
「いいものが焼けたと思う。また一騎と見にきなさい。気に入ったものがあれば持って行くといい」
「ありがとうございます。一騎が平皿を一枚割ったと残念がってましたから、喜ぶと思います」
「毎日使ってもらうことが、何よりも器を器にする」
「はい」
「総士! ちゃんと手、洗った!」
 帰り支度が済んだらしいそうしが、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「なら帰るぞ」
「史彦おじさん! また来るね!」
「ああ」


◇ ◇ ◇


 そうしの手を引いて、家までの細い坂を上っていく。街灯に照らされているとはいえ、急な階段は薄暗い。それを踊るような足取りでふわふわと歩くそうしの足取りは不安定で危なっかしく、見ている総士はいつも冷や冷やさせられる。小さな子供の身体はこんなにも柔らかく、そして脆く思えるのだ。心配しすぎだと一騎は笑うのだが。
「あ」
 案の定、ぐらりとフラついた身体を、繋いだ右手をぐっと引き上げることで支える。
「こら。しっかり足元を見ろ」
「ううう」
 夕暮れに沈んでいるが、総士と同じ色の髪の間から、同じ色の瞳が覗き、しょげたように揺れる。
 だが、背負うかと聞けば自分で歩くと答える。そうしは、これまた自分で持つと主張した小さな紙袋をぶら下げている。しっかり握って離そうとはしない。中に入っているのが、楽しみにしていたそうしの作品なのに違いなかった。いったい何を作ったのか、当然興味もわく。
「何を作ったんだ?」
「帰るまで内緒!」
 一騎と一緒じゃないとダメ! ときっぱり断られた。そうだなと笑って返す。確かに抜け駆けは良くない。
「総士は、作ったことないの?」
「僕か。そうだな……一騎に何度か教えてもらったことはある。だが、あまり形にはならなかったな」
 そうしに尋ねられ、真壁家でのことを思い返す。何度やっても歪むばかりだった。一騎は歪んでいいのだ、自分もそうだったと言っていたが、総士には思うことがあった。
「僕の手は、何かを一から形づくることには向いていないのだろう」
 そうしの手を繋いでいない、自身の左手に目を向ける。いつも誰かから、何かを受け取ってきた。それを次へと繋ぐことが自分のせいいっぱいであったと総士は思い返す。
「じゃあ、総士の手はどんな手なの?」
 そうしが不思議そうに総士の顔を見上げる。幼子の無邪気な問いは、透明で、真っすぐで、だからこそ奥深いところを深々と貫いていく。そこには、一点の曇りも歪みもない。
 そうだな、と総士は呟いた。
「守る手であれたらと思う」
 ずっとそう思ってきた。未熟ではあるが、そうあれるよう努力はしてきたつもりだ。
「まもる……」
「ああ、それが僕の役目だ」
 今繋ぐ手も、そうして守ってきた先にあるものだ。総士が選び、一騎が受け入れた未来のかたち。だからこそ、望めるものがある。
「お前は作れるかもしれないな」
 ――僕と根源を同じくしながら、お前は僕とはまったく違うから。
 この子供と接するたびに感じる事実を、総士は噛みしめるように口にする。
「この先お前が作るものが見られたなら、きっとうれしいだろう」
「じゃあいっぱい見て、総士」
 子供は、総士と同じ形の目を大きく開いて笑った。
「ぼくの作るもの。そしたら、それを一騎と総士にあげる」
 とっさに何と返せばいいのか分からなかった。胸をひと息につかれた気持ちだった。そこからじわりとあふれ出すあたたかなものは、間違いなくこの子供に抱く情だった。
「……楽しみにしている」
「うん!」
 総士の言葉の意味も、その想いも、まだ何も理解していないだろうに、はっきりとそう返した子供の眼差しは力強かった。
「あ、一騎だ!」
 行く手に目を向ければ、そこはもう自分たちの家だった。街灯と戸口からもれる光を背後に、一騎が家の前に立っている。待ちかねて、家でじっとしていられなかったのか。逆光で表情はよく見えないが、きっと自分たちを見て笑みを浮かべているのだろう。こちらを見て、右手を振っている。
 それに応えるように、そうしは総士の手を握ったまま勢いよく走り出す。総士は思わずつんのめりそうになりながら、家までの残り僅かな距離を、そうしと一緒に駆けた。


◇ ◇ ◇


「で、今回は器じゃないものを作ったのか」
「なるほどなあ」
 そうしの作品を前に、総士と一騎はうなった。
 絵付けをした皿は、また焼いてもらうらしい。皿には総士と一騎と自分を描くのだと、そうしは胸を張って説明した。完成が楽しみだが、まずは今日できあがった焼き物たちだ。
「これはなんだ?」
「ダンゴムシ」
「じゃあこれは?」
「イモムシ」
 なかなか独創的でけっこうなことだ。しかもわりとリアルに出来ている。
「来主にもあげるの」
「粘土で作ったやつだって、ちゃんと言ってやれよ」
 遊び友達への寛大さを示したそうしに、一騎が口添えをした。来主は、そうしにダンゴムシやらセミやらを、やたらとたくさん贈られている。もちろん善意からなのだが、そのたびに悲鳴を上げて一騎に泣きついてくるのはもはや定番の流れになっていた。
 あいつ、虫嫌いにならなきゃいいけど、と心配しつつ、そうして改めてしみじみと作品を眺める。
「……箸置きにでもするか?」
「それは……ごめんこうむる」
「だよな……」

 三人が住む家の玄関には、そうしが土をこねて作った小さな焼き物がいくつも並ぶようになった。



- end -


2018/02/04 発行同人誌再録。
総士とそうしのやりとりが気に入っているお話です。こそうしは土に触れることはあるんだろうか。
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