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チョッキンかみきり


 チョキン、チョキン。
 ゆっくりと、けれど途切れることなく音が響く。鋼が擦れ、噛み合う音だ。繋がっていたものを、二つに断ち切る音だ。それは潔く、そして心地が良い。メトロノームのように規則正しく紡がれる。一つ音色が響くたびに、パラパラと落ちるものが床に敷いた新聞紙にぶつかって乾いた音を立てる。
 その音色に耳を傾けながら、そうしは座布団の上で膝を抱え込んで座り、目の前の光景をじいっと眺めていた。
 縁側と庭に続く大窓を開け放し、陽の光をめいっぱい取り入れた窓辺で、一騎がスツールに腰かけている。首には手元まで隠れるほどの白い大きな布を巻いていた。そしてその一騎の後ろに総士が立ち、定規を構えながら、険しい顔で慎重に一騎の髪の毛を切っているのだった。
 総士による一騎の散髪が始まって、すでにかれこれ五十分は経過している。そしてハサミを手にした総士の周りには、ものすごい緊張感が漂っていた。一つでも音を立てようものなら、意識が逸れて大惨事になりかねないとでもいうような、ピリリとした空気だ。これだけの集中力を途切れさせないところは、さすがとしかいえない。まさに真剣勝負だ。だから見守るそうしも座布団の上から動かず、膝を抱えた手も勝手に動いて何かいたずらをすることがないようにぎゅっと力を入れている。散髪が終わるまで、あるいはもういいという合図があるまでは、絶対に喋って邪魔をしないぞという覚悟で観察をしていた。ごくりと唾を飲み込む音さえ、やたらと大きく響く。
 もっとも、息をするのにも慎重になるほどの緊張感を感じているのは総士とそうしだけのようで、一騎といえば、穏やかに瞼を下ろし、口元には笑みさえ浮かべている。一見して、居眠りをしているようでさえある。まるで対極の二人の様子は、そのまま総士と一騎の性格や在り方そのものにも映った。
 昼下がりの太陽の光が、そんな二人を柔らかく包んで、優しい金色で縁どっている。それがすこし眩しくて、そうしは目をパチパチさせた。
 チョキン、とまた音がする。総士が一騎の髪の毛に慎重にハサミを入れる様子は、どこか儀式めいてもいる。とても大切で、とても重要な。
 実際、総士はいつも自分の手で一騎の髪の毛を切る。前髪ならひと月に一度、後ろ髪も含めてとなると、大体半年に一度くらいの割合だ。一騎の後ろ髪が伸びて、肩に届きそうなくらいになると、そろそろ髪を切ったらいいんじゃないかと話を持ち出す。
 一騎は毎回、前髪くらい自分で切るのにとか、鏑木さんとこに行くよと口にするのだが、総士は絶対に譲らない。なんでも、「僕が一番一騎の髪の毛のことをわかっている」ということだった。
 それになんだかんだと、一騎自身も総士に髪を切ってもらうことを喜んでいるのを、そうしはちゃんと知っているのだった。
 チョキン、チョキン。
 ものさしを当てながら髪の毛を切っていた総士が不意に手を止め、ふむと眉を寄せた。
「五ミリの修正が必要か」
 途端、ぶはっと吹き出したのは一騎だった。笑いと共に目に見えて肩が震える。
「こら」
 動くんじゃないと総士が叱る。
「だって、お前、」
 だが、そんな叱責さえも一騎の笑いを助長するものにしかならず、一騎はこれまで堪えていたものもあったのか、とうとう身体を丸めて笑い出した。
「丸刈りにされたいのか」
「お前はそんなことしないだろ」
「そうやってお前は僕をつけあがらせるんだな」
 たちが悪い、と総士がぼやく。
「やっぱりお前って不器用だなあ」
 そんなことをしみじみ口にして、一騎はまた楽しそうに笑った。
「一騎……本当に丸刈りにするぞ」
「ならそれもいいかもな」
 やっぱりお前はたちが悪い、と総士がもう一度文句を言った。そういうところは、確かに一騎のずるさだ。そうしにだってちょっとわかる。本人は無自覚なところが、またずるい。
 一騎は、総士になら丸刈りにされたってかまわないと本気で思っている。それでいて、総士が一騎の髪をめちゃくちゃに切るようなことは絶対にしないとも確信している。そこに矛盾はない。総士が一騎に抱く信頼は、透明すぎるほどに澄んでいて、真っすぐで、揺らぎがない。一騎の前には大きな姿見が置かれているが、それはあくまでも総士が確認のために使っているもので、一騎はほとんど見ていないのだ。
 二人のあいかわらずなやりとりを大人しく眺めながら、それにしても丸刈りの一騎はあんまり見たくないなあとそうしは思う。というよりも想像がつかない。
 そういえば総士は髪の毛を短く切ることはない。前髪を整えるくらいで、背中まで長く伸びた亜麻色の長髪は、そうしが物心ついたころから変わることはない。なぜ切らないのか、一度尋ねたことがある。
「これは僕の時間だから」と総士は答えていた。左目の傷とは別の、自分という存在の証明なのだと。他にも理由があることをそうしは知っている。一騎が総士の髪の毛を気に入っているからだ。折あるごとに髪の毛に触れ、すくっては遊ぶ一騎の手を、総士が好きだからだ。二人の様子を見ていると、そうしは「ぼくも、もっと髪を伸ばそうかなあ」という気になってくるのだった。
 結局仕切り直しとなり、何とか笑いを収めた一騎は再び大人しくスツールに座った。総士は無言だ。その様子に一騎が首を傾げる。
「総士、怒ったのか?」
「怒ってない」
 むっすりしながら、ハサミを入れる総士に、一騎が目を伏せてふわりと笑った。風がそよぐような一瞬の笑み。さっきの子供のような楽しそうな笑い方とはまるで違う。背後にいる総士にはきっと見えていない。でも、そうしには見えている。木漏れ日のような淡く柔らかい笑みだった。
「なあ、総士」
「なんだ」
「感謝してるよ。こんなに大事に切ってくれて」
「な、」
 また、総士の手が止まった。
「……お前はいい加減におとなしくしろ」
「うん、わかった」
 ――チョキン、チョキン。
 少しの間を置いて、再び響きはじめる音。
 だが、総士の頬は陽の光の加減だけではなく赤く染まっていて、それはやっぱりそうしからは丸見えなのだった。
 うーん、そこは顔を赤くするところなんだろうか。図星だからかな。一騎の髪の毛が、じゃなくて、一騎が大事なんだっていうところが。
 うん、そうなんだろうなとそうしは納得した。


◇ ◇ ◇


「終わったぞ」
 総士がハサミを下ろしてそう口にしたのは、更に十分後のことだった。
 それを合図に、ぴょこんとそうしは座布団から立ち上がった。
 散髪の終わった一騎のところに寄ると、一騎は両腕を伸ばして抱き上げてくれた。しなやかで、でも力強い腕に抱えられて、ふわりと膝上に乗せられる。ぐっと近くなった一騎の顔を、そうしは正面からまじまじと眺めた。伸びてあちこち跳ねていた髪の毛は綺麗に抑えられ、襟足もすっきりとまとまっている。何より、一騎の柔らかい輪郭がくっきりとして見える。
「さっぱりしただろ?」
 一騎の確認に、そうしはうん、と頷いた。
「一騎かわいい」
 正直な感想を述べると、えええ? と一騎が困ったような顔をした。総士はむしろ得意気だ。
 あれは知ってる。ドヤ顔っていうんだって、剣司先生が言ってた。
「そうだろう」
 総士は満足そうに、後ろでうんうんと頷いている。途中の誤差も見事に修正し、今回も納得のいく出来栄えとなったらしい。完全に、一騎専用美容師と化している。
「いや、そこは素敵とかかっこいいとかさ」
 もっとなんかあるだろ、と一騎がぼやく。
 実際そんなこと言われても、どうせ笑って本気にしないくせになあとそうしは思う。一騎はそういう人なのだ。でも、かわいいものはかわいい。だから、言う。
「うん、でも一騎かわいい」
 そうしはもう一度繰り返して、それからつけ加えた。
「でも、もっと切ってもかわいいと思う」
「……なんだと」
 反応したのは総士の方だった。
「耳も、もっと出してもいいと思う」
「僕とお前との間には、一騎の髪型について意見の相違があるようだな……」
 これは総士との間で話し合いが必要になりそうだ。そうしだって何の根拠もなく言っているわけではないのだ。今こそ対話だ。そうしの主張の正しさもわかってもらわないといけない。家族なのだから、公平に。
 おかしな方向に白熱しはじめた総士とそうしに、一騎が呆れた声を出す。
「いや、俺の髪形とかどうでもいいだろ」

「「どうでもよくない!」」

 叫んだのは同時だった。
「一騎は黙っていろ」
「一騎はだまってて」
「なんだそれ……」
 二人から反撃され、一騎はへにょりと眉を下げる。その様子は、自分の育て親で歴とした成人男性であるのに、やっぱりかわいかった。
「お前も前髪を切るか」
 一騎の膝から降りたそうしに、総士が尋ねる。
「うん、切る!」
 ちょうど前髪が目に入ってチクチクしていたところだった。後ろは一本に括れるけれど、前髪はそうはいかない。
「総士、切って!」
「いいだろう」
 もう一度ハサミを手にして、総士は任せろと言わんばかりの笑みを浮かべた。


◇ ◇ ◇


「そうし……育ったらすごいタラシになったらどうしよう……」
「ならお前に似たんだな」
「え、なんでだよ」
「なんでだろうな」
 そうしをスツールに座らせて、布を首に巻きながら、二人はそんなことを小さく言い合っている。
 そうしは、いつか自分も一騎や総士の髪を切らせてもらえたらいいなあと思ったのだった。

- end -


2018/02/04 発行同人誌再録。
こそうしも皆城くんに髪の毛を切ってもらえたらいいのになあと思ったり。
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