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Tabi-hon(日光)
【サンプル】


「なんにもないってなんなの――!!」
 来主操は叫んだ。単身者用マンションの1LDKのリビングにうわんと響いた操の大声に返ってきたのは、呆れたような視線が一つと、憐れむような視線が一つ、それから困惑した声が一つだった。
「なんにもないは……なんにもないだろ」
 首を傾げながら、至極当たり前の事実を告げた一騎に向かって、操はそういうことじゃないよ、と再び叫んだ。
「どうして、なんにも予定がないのかってこと!!」
 今は九月に入ったばかり。小中高はすでに二学期をスタートさせているが、大学生はまだ夏休みを残した……むしろこれからが残る休みを満喫できる時期である。長期旅行や短期留学に行っている学生も多いが、一騎も総士も、そして甲洋も、八月末に竜宮島の帰省から戻ってからというもの、夏休みらしい予定はなにも入れていなかった。そう、まったくなんにも。一騎は喫茶店のバイト、総士は大学の図書館通いと研究室の教授や先輩の手伝いのバイト、そして甲洋もバイトである。現在大学生でもなければ、バイトもしていない操だけが、なんの予定もなかった。
「せっかくの夏休みなのに!」
「僕らはともかく、お前は毎日が夏休みのようなものだろう」
 せっかくもなにも、とこのマンションの家主である総士がため息を吐く。
「そもそも、なんにもやることがないというからうちに遊びに来たんじゃないのか」
 総士の指摘どおり、四人が今総士のマンションに集まっているのは、暇だよ~とぶうたれた操のため、映画鑑賞会をやろうということになったからである。甲洋と操が同居するマンションの最寄り駅から一本で来ることができ、適度に都心から離れていて、リビングの広さにも余裕がある総士の部屋は、しばしば幼馴染みたちのたまり場となる。一駅先の川向こうに住んでいる一騎がすぐに来られるというのも大きい。なにしろ一騎の足なら総士のマンションまで走って五分ほどしかかからない。ほぼ毎日一騎が総士の部屋に来て一緒に朝食をとり、大学に行き、終われば総士の部屋に帰って夕飯を食べてから川向こうへと戻っていくのが総士と一騎の日常だ。なぜ同居をしていないのか理解に苦しむが、二人の間では織り込み済みであるようなので、もはや誰も口を出さない。
 鑑賞会をやるにあたり、じゃあ観たい映画を一人一本持ち寄りな、とざっくり一騎が決めた結果、特撮、ゾンビ、ホラー、サイコサスペンスという雑多なラインナップが集まり、現在、四人の目の前では逃げ遅れた主人公の親友が、メリーゴーランドの馬の上でゾンビと相乗りし、背後から張りつかれながら髪の毛をモグモグされている様子が映し出されている。軽やかなワルツとゾンビのうめき声と悲鳴のコラボレーションがおそろしくシュールだ。総士以外、示し合わせたようにB級作品を持ち寄ったので、並んだパッケージを確認した瞬間に総士の目は死んでいた。
 ポップコーンやスナックを並べ、ラグの上に思い思いに座って笑ったり絶句したり叫んだりしているときに、君たちは残りの夏休みなにするの? と不意に操が口にしたのがきっかけだった。別になにも、と異口同音に返ってきた三人分の声に、ゾンビに襲われている親友の行方もそっちのけで操は叫んだのだった。
「だいたい俺だけが夏休みなのと、総士たちも夏休みなのはぜんぜん違うでしょ!」
「自分が年中夏休みなのは否定しないんだ」
 ポップコーンをつまんだ甲洋が、画面に目を向けながらツッコミを入れる。映画は、あえなくゾンビの犠牲になった親友が自らもゾンビになり、タップダンスを踊っている。一騎は両手でレモンサイダーの入ったグラスを手にして、うーんと唸った。
「俺は別になにも予定なくても、総士とのんびりできたらそれで」
「一騎のそれ、もうおじいちゃんじゃん……!」
「でも、おじいちゃんみたいなのって理想だろ」
「そうだけど!」
「なら、来主はなにをしたいんだ」
 なんにもないことをこれだけ嫌がるのだから、そうとうにやりたいことがあるのだろうと考えた総士が改まって操に尋ねる。操は、ぱあっと顔を輝かせて元気よく答えた。
「ええとね、俺は《なんにもしない》をしたい!」
「なにそれ」
 甲洋がまったく意味がわからないという顔で操を見た。一騎だけが、ああと頷く。
「この前、くまの映画で見たやつだろ」
「くまの映画だと?」
 総士もまたいったいなんの話なんだと眉根を寄せるが、一騎がザックリと説明をした。なんでも、その映画はイギリスの有名な少年とくまのぬいぐるみの物語のその後を描いた作品で、大人になる過程で子どものころに持っていたいろんな大切なものを失ってしまったかつての少年がくまのぬいぐるみと再会し、くまの引き起こすトラブルに巻き込まれながらそれらを思い出していくというストーリーだ。原作でも登場するくまの台詞に「なんにもしないをする」というのがあり、それが一つのキーワードとなっている。
「うん、それ!」
 操が嬉しそうに頷く。
「その台詞自体は僕も原作を読んでいるから知っているが……」
「総士たちもこのまま行けば社会に揉まれてつまらない大人になっちゃうでしょ。そうならないようにみんなで一緒に大切なものを探しに行こう!」
「待て、勝手に僕らをつまらない大人にするんじゃない」
「だってえ、今だってバイトと勉強だけじゃんーー」
 操の言い様に総士がまなじりを吊り上げる横で、確かにバイトと勉強ばっかだよなあと一騎が妙な納得をしている。割って入ったのは甲洋だった。
「まあつまり、あまりなにも考えず気軽になにかを楽しもうってことなんだろ。いいんじゃないか? 家にこもるのもいいけど、たとえば四人でどこかにぶらっと行っても」
「それ、旅行とかか?」
「そうだね。どうせどこかに行くなら旅行なんかいいかもね」
 日帰りで出かけるよりのんびりできるだろうし、と甲洋は一騎に答える。
 残る約三週間の夏休み。授業が始まるまでこのまま何も予定を入れないというのも、確かにもったいない気はする。こうやって誰かの部屋に集まって過ごすのも楽しくはあるのだが、気分を変えて普段目にしない景色を探しに行くというのはありだろう。
 それに、せっかくの旅行だからと気合を入れて予定を詰めまくり、スケジュールに沿って動きまくった挙句疲れてしまうということはあり得る話だ。実際このメンツでそういう事態になったことはないが、思い立った勢いでぶらりと足を延ばすという楽しみ方もいいかもしれない。なにかをするための旅ではなく、なんにもしない旅をする。
「来主はそういうのがやりたいってことでしょ」
「うん、そうそれ! さすが甲洋!」
 伊達に一年近く来主操と同居をしているわけではないらしい。甲洋の把握は早かった。操はそういうことだと笑顔を見せたが、総士は納得したような納得していないような顔だ。事前準備があまりない旅行そのものが心許ないのだろう。なるほどなと好意的な反応を見せたのは一騎の方だった。
「とりあえず、のんびりなにも考えずみんなでゆっくり過ごすって感じか。いいなそれ」
「今から海外旅行は無理だし、北海道や沖縄っていうのも遠いから、近場で適当なところに行くのでいいんじゃないか。行き先と宿、行き方さえ押さえておけば今からどうとでもなるだろうし。総士はどう?」
 甲洋に振られて、それならと総士が頷く。やったー! 旅行だ! と操がはしゃいだ声を上げた。もはやすっかり観ることを忘れていたが、映画の方も決着が着いたらしい。登場人物は全員ソンビになったらしく、エンディングロールでゾンビたちが楽しそうにマイムマイムを踊っていた。リモコンを手にした総士がブツリとテレビを消し、かたわらに置いていたiPadを起動させる。
「そうなると関東近郊だな……二時間……長くても三時間程度で移動できる場所がいいだろう。今から宿が取れて、一泊か二泊でのんびりできるところだとどこだ?」
「定番だと箱根か……あと湯河原って感じだけどな」
「一騎の言うとおりだが、来主、お前は北と南どちらに向かいたいんだ?」
 総士はざっくりとした行き先について、そもそものきっかけを作った張本人に委ねた。ぶん投げたともいう。操はうーんと唸ったあと、二秒で結論を出した。
「ええとね、じゃあ北!」
 理由などない。すべては「なんとなく」である。だいたいのロードムービーものも大抵北に行く。北に向かえばなにかがあるような気がする。ロマンとはそういうものだ。
「わかった、北だな」
 総士が頷き、iPadで見ていた地図を拡大して一騎たちにも見えるように映し出す。四人はほぼ頭をくっつけるようにして画面をのぞき込んだ。東京都の北の埼玉県、それを取り囲む茨城、群馬、栃木、長野……。温泉も宿も楽しめそうな場所を思い浮かべながら地図の上を視線が辿り、あっと全員の声がそろった。

「「「「日光」」」」



「やりたいことをやるのがこの旅の目的だもん」
「旅の目的は変わらないさ。僕らはここでなんにもしないを楽しむだけだ」

「そっか」




2020/02/16
楽園ミュートス#4 悠まひこさんとのケイ素旅行シリーズ企画本・国内日光編。大学生男子四人のわちゃわちゃ旅行。なんにもしないをするぶらり旅。
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