そうしのなつやすみ【サンプル】

《なつのはじまり》

「できた!」
 砂の上に完成させたお城をながめて、そうしは満足気な声をあげました。
 学校が夏休みに入ってからというもの、そうしはお天気が良いときはほとんど毎日外に遊びに出かけます。もちろん、宿題はちゃんと済ませてからです。
 夏の海神島では、やることがたくさんあります。山に行けば、カブトムシやクワガタにセミを捕まえることができますし、海では泳いだり、魚を見つけたり、ヒトデを拾ったり、クラゲをつついて遊んだりもします。そうしは、カブトムシがたくさんいるところや、珍しい色の石が落ちていた場所、空がきれいに見えるところなどを宝の地図にして大切にしています。毎日あたらしい発見があって、それを夜に書き加えるたびに、明日はどこに行こう、何をしようなどと考えるのでした。
 今日は、砂浜で大きなお城を作る計画でした。波が攻めてきても壊れないような、みんなを守るための強くて立派なお城です。貝殻や石も使って、見た目もきれいに飾りました。途中で様子を見にきたらしいカニを、そっと詰まんでお城のてっぺんに案内してあげましたが、カニはあまり気に入らなかったのかすぐに城から出て行ってしまいました。なあんだ。そこで代わりにヒトデを乗っけることにしました。そうすると、まるで星で飾ったみたいに、お城はいよいよ立派に見えました。
 ――こんなにすごいのになあ。
 残念なのは、このお城を作ったのがそうし一人で、それを見てくれるともだちが今はいないということでした。
 そうしに同い年のともだちはいません。この海神島で、そうしと同じ年に生まれた子どもがほかにいなかったからです。でも、ともだちはたくさんいます。
 美羽という名前の、年上のお姉さんも遊びともだちです。美羽お姉ちゃんは優しくて、でもそうしがいたずらをすると本気で怒って注意してくれたりもする人でした。
 ――だめだよ、そうし。
 そう言われると、そうしは「だって」や「でも」と言い返したりはせず、いつも「ごめんなさい」と素直に謝ります。そんな美羽お姉ちゃんには一番の大切なともだちがいて(そうしはその子に出会ったことはないのですが)、いつかまた一緒にお話をするのとそっと教えてくれました。
 操も、そうしは俺のともだちだよ! と言ってくれる人です。正しくは人間ではないらしいのですが、とりあえず見た目だけは朗らかな少年の姿をしています。金色の瞳以外は、髪色も同じで顔立ちもどこかそうしと似通ったところがあるせいか、一緒にいるとまるで兄弟のようだと言われることもあります。実際にそうしより年齢が上ではあるらしく、生まれた時からそうしのことを知っているからなのか(なにせ、まさに生まれたばかりの姿を一騎と目にしたらしいので)、操は事あるごとにそうしのことを弟分扱いするのです。会話の中身は同レベルかそうしより下に感じることさえあるのに、そんな操の態度がちょっぴり不満ですが、そうしのやることに興味を持って、俺も俺も! と一緒になって着いてきてくれるのは、操が一番でした。ただ犬と虫だけはどうしても苦手らしく、出会うたびに悲鳴をあげるのですが。
 未来の遊びともだちもいます。島のお医者さんである近藤剣司先生とそうしが通う学校の先生でもある咲良先生の間に去年生まれた赤ちゃんのことです。最近はいはいを覚えたばかりで、まだあうあうとしかお話できませんが、先生たちはそうしが赤ちゃんを見に行くたびに、歩けるようになったらもっともっと一緒に遊んでやってね、と言ってくれるので、そうしはその日をとても楽しみにしているのでした。
 シュリーナガルエリアに住むともだちも何人かいます。みんなそうしより年下ですが、同じ小学校に通っています。人数が揃えば、海野球をすることもあります。ただいつも誘って遊べるかというとそうではなく、住む地域が違うせいもあるのか、学校以外で遊べることはまれでした。
 ともだちがまったくいないわけではないけれど。でも、もしもっと身近な、同い年のともだちがいたらな、とそうしは考えます。学校はもちろん一緒だし、島の子どもの数はそんなに多くないからクラスも一緒でしょう。一緒に登校し、下校もできます。学校帰りに遊びにいくこともできるでしょう。当たり前のように毎日会えるはずです。特別な約束をしなくたって。
 美羽ちゃんや操とは、毎日遊ぶことはできません。美羽ちゃんは、よく家のお手伝いをしているようでしたし、操にいたってはそもそも時間の約束ができないのです。操にとっての「また明日」というのは「いつか」と同じ意味で、その「いつか」は操の気が向いたときです。操としてはそうしとの約束通りにしているらしいのですが、また明日と約束したのに次に会ったのが四日後では約束の意味がありません。
『えええ、四日ってなに? 人間の時間の数え方って難しいよ』
 もちろん操に悪気はないのはわかっています。それでも、と思ってしまうのです。
 当たり前のように、また明日を約束できるともだち。そうしはそんなともだちが欲しくて仕方がありませんでした。本当は今日だって、操と遊ぶはずだったのに。せっかく作ったお城を誰かに見てほしかったのに。
 はあとため息をついたときでした。
「大作だな」
「一騎!」
 砂を踏みしめる足音に振り返ると、そこには一騎が立っていました。艶やかな黒髪を潮風に揺らしながら、そうしを見つめて笑っています。手には買い物袋を提げていました。今日は一日喫茶店での仕事だったはずですが、仕事終わりに迎えにきたのでしょうか。
「こら、ちゃんと帽子はかぶれって言ったろ」
 いつの間にか放り出していた麦わら帽子の砂を払ってからそうしに被せ、一騎は感心したように砂の城を見つめました。その一騎に、そうしは一生懸命、お城の構造について説明しました。一騎は砂の上に屈み込みながらうんうんと聞いてくれました。お前すごいな、と言いながら。
 ――一騎は。
 一騎は、そうしの育て親でした。一騎とそうしは血が繋がっていません。でも、それはこの島ではとくに珍しいことではありませんでしたし、そうしにとってもさほど大きな問題ではありませんでした。そうしにとって大切なのは、一騎がそうしを生まれたときから育ててくれているということ、そうしを心から愛してくれているということでした。
 一騎には、同い年のともだちがいます。ここではない島で生まれ育ち、同じ学校に通って卒業し、この島に住むようになるまでのたくさんの楽しいことや嬉しいこと、そして辛いことや悲しいことを一緒に味わい、乗り越えてきた仲間なのだと教えてもらいました。そう口にするときの一騎は、真矢お姉ちゃんは、そして剣司先生と咲良先生、それから島の喫茶店を経営している甲洋お兄ちゃんは、いつも懐かしそうに目を細め、何かを堪えるような胸が苦しくなるような優しく温かい笑みを浮かべました。ときどき五人で真壁家に集まり、酒を手に夜遅くまで語り合っているのを見ました。
 先に布団に入るために挨拶をしに行くと、五人はそうしを見て「おやすみ」と笑ってくれます。その輪の中に子どものそうしが入ることはできず、羨ましい気持ちと少し寂しい気持ちを抱えて自分の部屋に行くのでした。
 彗お兄ちゃんと零央お兄ちゃんと美三香お姉ちゃんも同級生の幼馴染です。三人も大変仲が良く、仕事以外でも一緒にいるのをよく見かけました。
 ときどき、そうしと同じように一人でいる人もいました。西尾商店で駄菓子や雑誌などを売ってくれる里奈お姉ちゃんです。前に一人で砂浜に座って海を見ているのを見かけて、隣に座ったことがありました。寂しそうな横顔がどうしても気になって、ポケットに入れていたお気に入りの貝殻を上げると、里奈お姉さんは笑ってそうしの頭を撫でてくれました。里奈お姉さんにも、本当は同い年のともだちがいるのだと教えてもらいました。
『まだね、会えないの。あたしだけ置いて行かれちゃった。ふざけんなって感じでしょ。みんな勝手すぎ。いつか会えたら、絶対そう言って怒ってやるんだから』
 そんなことを今にも泣きそうな顔で笑いながら、拳を握って口にしていました。
 ――みんな、いいな。
 そうやって分かち合える人がいる。嬉しいことも、辛いことも、同じ目線で。
 例えば。
 ――一騎が、ぼくのともだちだったらいいのに。
 そんなことをときどき思います。一騎は朝起きたときも、夜眠るときも一緒にいてくれるし、海や山に出かけることもあります。そうしが作ったものを誉めてくれるし、話すことだってこうして飽きもせず聞いてくれます。けれども、一騎は「ともだち」ではありません。
 ――一騎はぼくの「家族」。「あした」を約束しなくたって会える人。
 そうしの「親」であって、それだけはどうしても違うのでした。


 その日も、そうしは一人で遊びに出かけていました。海神島は安全なところで、大体の島民とも顔見知りですし、今日はどこに行くかを一騎に伝え、明るいうちであれば遊び場所を制限されることは基本的にありません。どうしても立ち入ってはいけない場所は決まっているので、そこはちゃんとそうしも心得ていました。
 今日は島にいくつかある神社の一つ、海の神様を祀っている場所にやってきていました。すぐ近くに向日葵がたくさん咲いていて、それを持って帰ろうと思ったのです。そうしが道端や野原で詰んだ花を、一騎はよく自分が働いている喫茶店で飾ってくれました。押し花にしてあげれば、美羽お姉ちゃんが喜んでくれるでしょうか。そうだ、真矢お姉ちゃんも。
 そんなことを考えながら境内を抜け、向日葵が生い茂る場所に続く道を足早に上っていたときでした。
「えっ」
 いきなり何かに蹴躓いて、そうしは思いっきり転倒しました。そのまま大きく身体が投げ出され、草の上に落下したと気づいたのは、身体が地面に叩きつけられたあとでした。
「いったあ……」
 なんとか身体を起こしましたが、手のひらはひりひりするし、特に右ひざは焼けるような痛みを感じます。涙目になりながら自分が何につまずいたのか確認すると、目に留まったのは階段でした。
 ――こんなところに階段なんかあったっけ。
 前に来たときはただのゆるやかな坂道だったはずです。そうしは首を傾げましたが、立ち上がろうとして右ひざに走った痛みに悲鳴を上げました。おそるおそるひざを見れば、段差にかなりつよくぶつけたのか大きな打ち身になっている上、石で擦りむいて血が滲みはじめていました。見るだけでも痛みが倍増しそうな傷に、そうしは泣きたくなってきました。
 ――痛い、どうしようっ。
 一騎は、お前がどうしても泣きたいなら我慢しなくていいと言ってくれます。泣くことも必要だと言います。苦しい涙を身体の中にため込んでしまうと、いつか涙の海に溺れて、深い深い底から抜け出せなくなってしまうからと。
 そうしにはそう言ってくれるのに、一騎が泣いている姿をそうしは一度も見たことがありません。一度気になって尋ねたとき、一騎はちょっと驚いたように明るい焦げ茶色の目を瞬かせてから、ふんわりと笑いました。
「俺は大人になっちゃったからなあ」
「大人は泣いちゃいけないの?」
「泣いていいさ。大人になったって悲しいことや辛いことはある。でもそうだな、多分もう子供のときみたいには泣けないんだ」
「大人は大変だね」
 そうしがしみじみ言うと一騎はくすっと笑い、水仕事で少しかさついたしなやかな手で、そうしの髪の毛をくしゃくしゃと撫でました。
「かもな。だからお前は我慢しなくていいんだ」
 今が泣いていいときなのか、そうしは考えました。膝小僧が石にこすれてできたひっかき傷は、血を滲ませてはいるけれど、浅いものでした。お風呂に入るときもきっと悲鳴をあげたくなるほど染みるだろうけれど、絆創膏を貼って何日かすれば、傷はすっかり塞がっているでしょうし、その傷痕もきれいに消えてしまうでしょう。打ち身になったところもそうです。怪我したことも忘れてしまうくらいに、きっと。
「うん、大丈夫」
――ぼくは大丈夫! 
 零れそうになった涙を手の甲で拭い、そう声をあげて立ち上がったときでした。
「わっ」
「え?」
 とつぜん目の前の草むらからぬっと人影が姿を現し、そうしはびっくりしました。まさか人がいるなどとは思わなかったのです。しかも向日葵の間から顔を出したのは、そうしが今まで見たこともない男の子でした。
 ――子ども?
 今まで向日葵の中にしゃがみこんで虫でも探していたのか、手には虫取り網とカゴを持っています。そして立ち上がったその男の子は、そうしとちょうど同じくらいの背丈をしていました。
 小麦色によく焼けた肌は健康そうで、烏の羽根の色によく似た真っ黒な髪の毛がぴょこぴょこと風に遊んでいます。まんまるの大きな瞳は、大地を思わせるような明るい茶色でした。その顔立ちにはどこか見覚えがありましたが、この子は太陽の光を目いっぱい浴びて育ったような、そんな印象がありました。男の子が身に着けている明るいオレンジ色のシャツが眩しくて、そうしは目をぱちぱちと瞬かせました。
 それにしても、何度見ても見覚えのない子どもでした。それに、この島にはそうしと同じ年頃の子どもはいません。いないはずです。ときどき海の外から島に移ってくる人たちがいます。そのうちの一人なのでしょうか。
 だれなんだろうと思考を巡らしながら男の子をまじまじと見つめていると、男の子の方が先に口を開きました。
「誰だ?」
 声変わりにはほど遠い、澄んだ柔らかい声がそうしに尋ねました。ただでさえ大きな瞳をいっぱいに見開き、キョトンと首を傾げてそうしを見つめています。
 その問いかけに、そうしは胸が高鳴るのを感じました。始めて出逢う、知らない子。きっとそうしと同じくらいの。
 そう思ったら、ほっぺたから耳にかけての部分がかあっと熱くなりました。そうしはひとつ大きく深呼吸をすると、どきどきしながら答えました。
「ぼくの名前はそうし」
「そうし?」
 瑞々しい声が、ぎこちなく、けれど柔らかな響きでそうしの名前を呼びました。それだけで、そうしの心臓はまたひとつ大きく跳ねました。今にも飛び出しそうな心臓を右手で押さえながら、そうしも男の子に尋ねました。
「きみの名前は?」
「おれは、かずき」
「えっ?」
 ――かずき?
 今度こそ、そうしの心臓は弾けそうになりました。よく知る大切な育て親と同じ名前を持つ、知らない男の子。
 そうしは続けて問いかけました。
「きみは、どこからきたの?」
 かずきと名乗った男の子は、一瞬おどろいたような表情を浮かべたあと、すぐに煮詰めた蜂蜜のようにきらきらと光る瞳を細めて、元気いっぱいの声でこう言いました。

「おれは、たつみやじま!」

(続く)



2018/06/15 up
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