Misch★Masch【サンプル】

《コンビニ店員とひきこもり作曲家》
プライベッターにUP済。オフ本には加筆修正を加えたものを収録しています。
コンビニ店員のかずきくんとひきこもり作曲家のみなしろくん


《落ちこぼれリーマンとベテランリーマン》

 久しぶりに懐かしい夢を見た。
 生まれ育った島の夢だ。大学進学までの十八年間を過ごした瀬戸内海に浮かぶ小さな島。
 時代に置き去りにされてしまったかのような古い街並み。急斜面に張りつくようにして海側から山へと延びる坂道と階段。立ち並ぶのはほとんどが木造建築で、どの家も窓を大きく海に向けている。朝になれば、朝日に照らされる海面と対岸の島が織り成す風景が視界に飛び込み、夕暮れになれば、それらがゆっくりと夕闇に沈んでいく様と、ポツポツと灯りだす家々の明かりを目にすることができた。
 幼い自分は、目眩のするような細く急な階段を自在に駆け上がって遊びまわっていた。木々が鬱蒼と生い茂る神社や、穏やかな波が打ち寄せる海辺が島で育つ子供たちの遊び場だった。伸ばした手を取ってもらえることを疑いもしなかったあの頃。いつも隣にいる存在があった。
 草木の緑と海の青を背景に《彼》が笑った、と思ったところで夢はアラームの音にかき消された。


「……っ」
 駅のホームで、総士はもれそうになる欠伸をなんとか噛み殺した。
 右手首の腕時計に目を落とせば、朝の七時三十分。いつも乗っている三十六分発の電車には今日も十分間に合った。
 日々はいつも単調だ。就職をしてから常にそう感じている。繰り返される今日という日、いつもの朝。ベッドから身体を起こし、顔を洗って歯を磨き、パンとコーヒーだけの簡単な食事を取って、仕事着に着替える。
 総士が東京で就職してから、もう三年が経つ。今担当している分野ではもはやベテラン並みという扱いを受け、ある程度責任のある仕事を回されるようになっている。スーツはすっかり身体に馴染み、手元を確認しながらネクタイを締めるようなことはとうの昔になくなった。髪を梳かして身だしなみを整えてから、充電が終わったスマホとハンカチを仕事鞄に入れ、自宅マンションを出るまで起床から四十分もかからない。ただし、今日は危うく寝過ごすところだった。
 昨日は久しぶりに妹とSkypeで話し込んでしまい、そのまま缶ビールを開けてつい夜更かしをしてしまった。週末でもないのに酒を飲んでしまったのは、家族と話して気が緩んだせいか。おかげで仕事の疲れが抜けきらず、どうにも眠い。島の夢を見たのも、今も竜宮島で暮らす妹との会話のせいだろう。彼女とは、どうしたって幼い日々の思い出話、そして最近の島の様子になる。再びこぼれそうになった欠伸をもう一度噛み殺しながら、通勤通学者でごった返す駅のホームに立つ。
 これから終点まで、すし詰め状態のまま各駅電車に揺られ、さらに別の線へ乗り換えて会社の最寄り駅に向かう。そこから駅地下直結の社ビルまで五分を歩き、会社の入り口で警備員に頭を下げながら社員証をかざして社内に入り、エスカレーターに詰め込まれて十一階を目指せば、ようやっと仕事場のあるフロアにたどり着く。自宅マンションから職場まで約一時間。始業は九時だが、基本的に三十分前までにはデスクについて、ニュースやメールを確認しながら、途中のスタンドで買った朝のコーヒーを飲む。
 道のりを思うとげんなりするが、いつの間にか慣れてしまったルーチンワークだった。せいぜいの楽しみといえば、昼にどこで何を食うかというくらいかだが、その数少ない自由さえ佳境に入ったプロジェクトの納期に追われて奪われかけているが、それもいつからか日常として受け入れてしまっていた。これが自分の選んだ生き方だ。島を出たあの時から。
ふと胸をよぎった懐かしい色と空気に、今朝がた見た夢を呼び起こされて身体の一部がじくりと疼いたが、総士は首を振って感傷を振り払った。
 今日は湿度が高い。夏が近づいているのを感じる。島ではスーツなんて特別なときでもなければ見ることも着ることもなかったというのに、今ではスーツを身につけている時間がもっとも長いとは。毎日着ていて思うが、日本の気候にはつくづく合わない。まったく誰がこんな服装を社会人の正装などにしたんだろうかとそんなことを思いながら、そろそろ到着予定の電車を再確認しようと電光掲示板に目を向けたときだった。
 電光掲示板のちょうど下あたり、ホームに立ち並ぶ人の群れの中に見知った顔を見た気がして、思わず総士は息をするのを忘れた。列車の入線を告げるアナウンスの声も、人混みの雑音もいっさいが消えうせる。
 黒髪の艶やかな細身の青年。いくらか線の細い柔らかな顔立ちには、いやというほど見覚えがあった。
「一騎……?」
 あまりにも懐かしい名前が、口から零れ出た。
 いつもの、朝。都会の喧騒に揉まれて過ごす、社会の一歯車としての自分。単調で空虚な一日の始まり。そのはずだったのに、総士は懐かしい島の風が自分の中を嵐のように吹き抜けていくのを感じていた。

(つづく)



《ボディーガードと普通サラリーマン》※敵役としてモブが多少出張ります。

 僕の名前は皆城総士。この日本中どこにでもいる、いたって普通のサラリーマンである。
 ……いや、だった。そう、つい一週間前までは。


     ***


 訪問先から会社に戻り、資料作成を終えてから退勤すればもう九時を回ろうとしていた。
 僕の就職先は外資系の製薬企業であり、そこで医薬情報担当者として勤務している。一般企業のサラリーマンとは職種が異なるが、日々忙しく会社勤めをして給料をもらっていることに変わりはない。
 このところ早朝に病院を訪問することが多く、プレゼンの準備も抱えていたために恐ろしく目まぐるしい一週間だった。それも一区切りつき、明日は休みだ。夕食をどこかで食べていくことも考えたが、それよりは早く家に帰りたかった。自宅マンションまでは電車一本というのがありがたい。三十分ほど電車に揺られていれば最寄り駅にたどり着く。
 ちょうどやってきた電車に乗り込み、空いた座席に腰を落ち着ける。この時間帯ともなれば人もそこそこ疎らだった。僕と同じようにスーツをまとったくたびれ気味のサラリーマンか、バックパックを背負った学生と思わしきジーンズ姿の青年くらいしかいない。しばらくはスマホで呼び出したネットニュースを眺めていたが、それも疲れて目を閉じた。少しばかりうつらうつらとしていれば、あっという間に最寄り駅についていた。
 駅に降りたのは、僕と青年の二人だけだった。閑散とした駅の改札を通り抜け、帰宅途中にあるコンビニを目指す。せっかくなら久しぶりに酒でも飲もうかと、コンビニに続く道を曲がったときだった。
 耳をつんざくようなブレーキ音が住宅街に響き、驚いて目を上げた僕は視界に飛び込んできたものに絶句した。通りの向こうから黒い乗用車が恐ろしい勢いでこちらにカーブを切り、そのまま僕へと突っ込んで来ようとしていた。右に避けるか左に避けるか、少なくとも何らかの行動に出なければこのままでは死ぬと、僕の本能が激しく警鐘を鳴らす。それなのに完全な異常状態に僕の身体は凍りついたようにちっとも動こうとしない。
 人間、とっさの事態になるとこうも動けないものなのか。それでいて僕の目は車種と運転手、それからナンバープレートを瞬時に把握しようとしていた。身体は動かないのに頭脳はフル回転している。なんとも間抜けな状態だった。
 そして乗用車はスピードを落とすことなく僕に向かっていた。僕が道路にいるのが見えているだろうに、いっさいブレーキをかけることも僕を避ける様子も見えない。このまま僕をひき殺すつもりなのかと思い当たり、今度こそ血の気がざあ、と引いた。車のヘッドライトが僕の視界を灼く。このまま僕の人生は終わるのかと諦めの境地に至ったときだった。
 不意に、何かに抱え込まれるようにして強く身体を引っ張られた。それがどこからか伸びてきた腕によるものだと気づいたときには、僕の目の前ぎりぎりをあの乗用車が猛スピードで掠め去っていくところだった。車はガリガリと塀を削る耳障りな音とタイヤのスリップ音をけたたましく響かせ、最後まで速度を落とすことなく通路を曲がって姿を消した。
「……はっ…」
 僕は思わず大きく息を吐きだした。
 ……助かった。
 それを証明するように、僕の心臓はうるさいほどに音を立てている。
 誰かが電信柱の影に引き込んでくれなかったら、間違いなく死んでいた。抉られた塀の跡は本来の僕の未来だった。それを思うと改めてぞっとする。指先は冷えきっているし、気を抜けば膝さえ震えてきそうだった。だがまずは助けてくれた相手に礼を言おうと振り返り、その人物を見て、僕はおやと首を傾げた。どこかで見覚えがある……というよりも、たしかさっき同じ電車に乗っていた学生だ。心配と安堵を顔いっぱいに浮かべて僕を見ている。
「君は……」
 確か別の方角へ別れたと記憶していたが、なぜ僕の目の前にいるのだろうか。訳が分からないでいると、尋常ではない騒音を耳にしてか、周囲の住民が何人か通りへと出てきた。
「早くここを離れよう」
「あ、ああ」
 思ったよりも柔らかい声に促され、僕はその学生と一緒に急いでその場をあとにした。



「で、どういうことなんだ?」
 僕の前では、さきほど僕を助けてくれた青年が困ったように眉を下げて僕を見ていた。
 学生だとばかり思っていたが、年齢を聞けばなんと僕と同い年だった。つまり二十六歳、立派な成人男性だ。少し長めの黒髪に大きな目、そして色白の柔らかい顔立ちのせいでまったくそうは見えない。僕が年齢以上に落ち着いて見えると言われがちなのを差し引いてもだ。くっきりとした太眉と骨ばった体格がなければ、女性にも間違えられそうな線の細い造りをしている。
 あれから、青年はこの先も何かあるかもしれないからと僕を自宅マンションの入り口まで送ってくれ、そこで立ち去ろうとしたのだが、それを引き留めたのが僕だった。え?なんだ? と困惑に首を傾げる青年の腕を引っ掴み、御礼をさせてくれと言ってむりやり自室に連れ込んだ。そのままダイニングの椅子に座らせ、僕がその向かいに腰かけて今に至る。
 腕組みをしてスーツを着たままの僕と、パーカーにジーンズの彼が向かい合っていると、面接か何かのような雰囲気さえ漂う。いや、僕としては尋問する警察官の気持ちだった。もちろんお茶の一杯も出してはいない。
 僕の中では不信感が渦巻いていた。もちろんこの青年へのだ。自宅マンションまでの道を歩きながら、疑念は膨れ上がる一方だった。彼は確かに僕を助けてくれた。だが、あのスピードで突っ込む車から僕をたまたま助けたにしてはあまりにもタイミングが良すぎる。そもそも別方向へ歩いて行ったはずなのに僕を助けられたということは、僕をつけていたということではないのか。それはつまり、僕がああいう形で命を狙われる可能性を知っていたということでもある。
 さらに不審なのが、僕を送るときに自宅場所を尋ねなかったということだ。青年は迷うことなく僕の自宅マンションへと足を向けた。つまり、僕のある程度のプライバシーさえ、この青年は把握しているということだ。
 青年は相変わらずおろおろとした表情を浮かべて黙ったままだ。だんだんと僕はいらいらしてきた。あの車は間違いなく僕を狙っていた。どうやら僕は僕の知らない間によく分からない事態に巻き込まれているらしい。それも相当に物騒で凶悪な。
 だが、青年がいたから僕が生き延びられたのも事実だ。なんとか責め立てる口調にならないよう注意しながら、僕は青年に確認をした。
「君は、僕がああして命を狙われる可能性を最初から察知していたと考えて間違いないか」
 青年はううっと唸ったまま答えない。なら答えるまで質問を続けるだけだ。
「はっきり聞く。君は何者だ?」
「うっ……」
 ナイフを突きつける気持ちで、僕は青年に問いかけた。
 ―暫しの間。
 青年の瞳が次第に大きく揺れ、うううと呻きながら青年はテーブルの上に突っ伏した。勝った、と思うにはどうにも相手がちょろすぎる気がする。こいつは大丈夫なのか? と別の意味で疑念が湧くが仕方がない。何せ僕と初対面であるというアリバイを取り繕うことさえできないのだ。もっとも、それは本人にも自覚があるようだった。
「駄目だ……やっぱ俺こういうの向いてない……ごめん父さん」
 青年はよく分からないことをもごもごと口にし、はあっと大きくため息を吐いてから顔を上げると、とうとう覚悟を決めたのか口を開いた。
「俺は、お前のボディーガードだよ……」
「ボディーガードだと?」
 僕は唖然として聞き返した。

(つづく)


《黒服とドラァグクィーン》※R18(若干のモブのセクハラ描写あり)

 チクリとした痛みが、首の後ろに走ったのは一瞬だった。
 一騎は顔を顰めつつ身体を捻ると、背後に回り込んでいた男が手にしていたものを手刀で叩き落とし、ガラ空きになった胸元を白手袋を嵌めた左手で掴んで、鳩尾に強烈な一撃を叩き込んだ。一騎と同じ黒シャツにベストを着込んだ黒服の男は、潰れた呻き声と共に崩れ落ちるが、一騎の目はもはやそこにはない。脇からスパナを手に飛びかかってきた男の攻撃を身を屈めて躱すと、その足を右脚で払い、床に両手をついてもう片方の脚を跳ね上げる。一騎の空中回し蹴りは男の首筋に見事に決まり、相手は悲鳴も上げることなく床に沈む。
 一転して身体を起こす合間に、首を刺したと思われるものを横目で一瞥する。案の定、それは注射器だった。しまったなと頭の隅で思うが、それどころではない。筋弛緩剤か、それとも別のドラッグの類か。どうせロクなものじゃないだろう。即効性ではないらしいが解毒剤が必要かもしれない。一騎は落ちていた注射器を部屋の隅に蹴り飛ばすと、部屋の出口に向かって逃げ出そうとしていた残る一人に倒した男から拾い上げたスパナを投げつけ、後頭部に命中させた。男がくずおれるようにしてうつ伏せに倒れる。この部屋の黒服は全員倒したと、一騎が息を吐いたときだった。
 しまった、と思ったときには最初に床に沈めたはずの黒服の男が、呻きながら取り出した発信機と思しきボタンを押したあとだった。耳障りな電子音が部屋中に鳴り渡る。壁にいた男を振り返り、他の仲間を呼ぶ装置を止めねばと手を伸ばすが、その男は一騎を嘲笑うように発信機を遠くへと投げ捨てる。相手がどれだけいようが倒すつもりではいるが、別の地点から応援を呼ばれるのは面倒だ。自分の失態を内心で罵りつつ、一騎は男の鳩尾へと膝を叩き入れる。ヒキガエルが潰れたような呻き声とともに今度こそ失神した男に溜め息を吐きながら警報を訴え続ける機械を止めようと一歩踏み出したとき、突如部屋に現れた人影がその装着を踏み潰した。
 それなりの性能を持つはずの機械をあっけなくただのガラクタにしたのは、真っ赤なハイヒールの踵だった。暴力的なほどの高さと鋭さで、深々と機械にめり込んでいる。
 そして、目にも鮮やかなハイヒールのその先から伸びるのは白くて華奢な脚……などではなく、白くはあるがしなやかな筋肉で覆われた筋張った男性の脚だった。スパンコールにまみれてギラつく紫色のロングドレスの深いスリットから、その長い脚を惜しげもなく……というよりは無頓着に晒し、堂々と仁王立ちしているのは一騎の相棒だった。
 マッチ棒が十本は乗りそうな濃いまつ毛の下から一騎の足元で伸びている男を睥睨し、グロスで光る毒々しく染まった真紅の唇を嘲笑の形に歪める。いったいどんな乱闘を済ませてきたのか、複雑に結い上げられていた亜麻色の巻き髪はとっくに崩れて剥き出しの肩や背中にこぼれ、豪奢な飾りのついた簪もほとんど落ちかけているが、夜叉のように獰猛な笑みを浮かべる美しい顔にはむしろ壮絶に似合っている。
「油断するんじゃない」
 一騎に向かって放たれた声は、見かけから想像される以上に重たく低い。
 夢は夢でも、ドラッグによる幻覚かと思うような光景に、一騎はぽかんと口開けて見入った。

(つづく)

《とある喫茶店員と常連研究員》

オマケの話。ほのぼの。本編で。



2018/09/14 pixiv up
幻蒼のシャングリラ#8新刊サンプル②
ギャグところどころシリアス、なんちゃってハードボイルド。基本的に脳みそを筋肉にしてお読み頂く仕様です。ご注意ください。
▲top