いのちの先に

「――半年だ」

 唐突に思える一言は、だがときどき総士が口にすることだった。
 マークザインで島に帰ってきてから、総士は一騎にさまざまなことを話すようになった。それは大抵、ふとした瞬間を皮切りに始まる。総士の胸のうちに蓄えられた想いと言葉が水のようにして溢れ、堰を切って流れ出す。
 半年、と口にするときの総士は、いつもまっすぐに海の向こうを見つめている。今もそこに何かが……誰かがいるように視線を向けている。
 痛みと悲しみを含みながら、それ以上に強く真摯に向こうを見つめる総士の横顔をそっと見て、一騎も海に目を向ける。
 ああ、と一騎も頷く。

――わかる。わかるよ、総士。

 あのときの自分が知らずにいたこと。それでも確かにあった生きるための戦いと、帰りたいと足掻いた命。
 先輩、と口の中で呟く。
 一騎はすでにあのときの彼らの年齢に並んだ。もしこの命がまだもう少し続くのならば、いつか越える日もくるのだろう。だがそれでも、これまでもこれからも彼らは一騎たちの先輩だ。記憶の懐かしい姿そのまま、永遠に。
 L計画の実行によって稼ぐことができた時間が、総士の口にする《半年》だった。フェストゥムから島が隠れることの出来た《時》。

「たった半年という人もいるだろう。でもその半年が僕らを生かした。先輩たちが命を使って僕らに与えてくれた時間。それが、どれほど大きなものだったか分かるか」

 ノートゥングモデルの運用、島の防備の充実、新たなフェストゥムへの対応。引き延ばされた猶予ともたらされた情報が島と、そこで生きる命を生かした。けれど払われた大きな犠牲ーー40名もの犠牲者のことは、来たるべき時まで表立っては伏せられた。怒りも悲しみも後悔もすべて。去っていった者たちの墓さえ、島に作られることはなかったのだ。
 卒業して島の外で働いていると思っていた先輩たちが、とうに戦いの中で死んでいたと知らされたときの、全身の血の気が引いて視界が真っ暗になったあの瞬間、冷え切った指先の温度を一騎は忘れることはできない。
 一騎たちが安穏と生きていた時間は、見知った人たちの命の上にできていた。屍を踏みつけて、生きていた。
 総士の中に常に渦巻いているのは悔しさだ。共に行けなかった悔しさ。生きるはずの命を助けられなかった悔しさ。
 だから、今度こそ後悔しないための選択を考えている。今、自分ができることをやろうとしている。二度と同じことを繰り返さないために。
 一騎にはわかる。それは、今や一騎の中にもあるからだ。総士が守りたいものを共に守るのだと決めていた。
 総士の隣で静かに拳を握りしめていると、前を見ていたはずの総士が、いつのまにか一騎に目を向けていた。

「総士?」
「ノートゥングモデル……それを、お前が受け取ってくれた。繋いでくれた。……守ってくれた。感謝している」

 一騎は目を見開き、あ、とかう、だの言葉にならない声を絞り出して、首を横に振った。

「俺じゃ、ない」
「一騎」
「俺だけじゃ、ない。俺は……お前が渡してくれたから。お前が、そして蔵前が。ほかのたくさんの人が俺に譲ってくれた。ずっと大切に持ってたものを。だから、」
「――ああ。だから僕らはここにいる」

――分かるよ。

 わかるよと一騎はもう一度呟く。前は少しだけ。今はもう少しわかるようになった。
 総士――お前がそれをずっと抱えていたこと。それを誰かに……みんなにずっと伝えたかったということ。犠牲を選ばなければいけなかった、悔しさも悲しさも、そのすべてをみんなに訴えたくて、叫びたくて、でも言えなかったこと。

――俺は、わかるよ。総士。

 わかるようになった。やっと届いた。たとえすべてではなくとも、その一部でも、ともに背負って見つめたいと望んだ。それを許されたのだ。
 だから一騎は言うのだ。心の底から、あふれるほどの想いを込めて。

 ありがとうを。


2022/07/11 up
2021/11/19の文庫ページメーカーより再録。
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