とおりガラスのうちせかい
【サンプル】


【再録分】
「やさしいらくえん」(里奈)
「かわいいひと」(美三香)
「トロイメライ」(果林)

【書きおろし】
「椿の咲くころに」(芹・乙姫)
「ティル・ナ・ノーグの旋律」(カノン)
「たったひとつの」(真矢)
「かなたへの誓い」(美羽)+呼ばれなくても飛び出る操ちゃん
※最後のみ最終回後のお話です※


《椿の咲くころに》

 どっ、と雪の上に花が落ちた。
 空気を震わせたかすかな…それでいて心臓に響くような重たさを持つ音に、総士は足を止め、かすかに目を細めた。
 真っ白な雪に、真紅の花が落ちている。それはヤブツバキの花だった。雄しべの黄色との対比も美しい。色の鮮やかさに息を呑み、身を屈めて指を伸ばそうとして、総士はそれを止めた。このままにしておくべきなのだと、自分の心が囁いたからだった。
 コートのポケットに両手を入れたまま、ただ静かに花を見下ろす。自然と吐息が零れた。吐きだした息が、肌がひりつくほどに冷えて澄みきった朝の空気と混じり、白い蒸気となって空へ消えていく。
 ツバキは花びらを散らさない。花ごと落ちる。
 その潔いばかりの命の一つの終焉に、この花の美しさがあった。
 落ちた花は、やがて萎み、虫に食われ、華やかな色合いを鈍らせて、そうして土に帰っていく。
 土になり、そうして新たな命を芽吹かせるものになる。
 ――つばき。
 自分のたった一人の妹のように。
 人間が数十年かけて行うサイクルを、花のように短く生きて死んで、そうして生まれる命。それを彼女は選んだのであり、これから生まれる彼女も選んでいく。生と死の循環を、それによってもたらされる多くの事柄を島のミールに教え続けるために。
 皆城乙姫がミールに帰って、もう四年が経った。いつまでも実感がわかないものだなと、総士は自分に苦笑する。二年をフェストゥムの側で過ごしていたせいか、ただでさえ時間の経過に疎く、新たなコアとして生まれ変わった乙姫の姿をコアギュラの中で目にしても、ときどき彼女の声を聞くような気がするのだ。今も乙姫は、島の一部としてここに存在しているのだから、きっと錯覚ではないのだろうけれど。
 胸を刺すこの感情が、寂寥と呼ぶべきものであることを総士は理解している。小さく笑みを零し、雪の上の真紅をもう一度見つめてから、立ち去ろうとしたときだった。
「総士先輩?」
「立上か」
 防寒具にしっかりと身を包んだ立上芹が、そこに立っていた。
 思いもかけぬ邂逅に相手の名前を呼ぶと、頬を赤く染めて白い息を吐きだしながら芹は笑った。浅く息を弾ませている。神社からの階段を駆けて下りてきたのだと知れた。
「珍しいですね、お散歩ですか?」
「ああ、久しぶりに休みができた」
「それでお散歩。寒いのに」
 しかもこんなに朝早くにと、どこか面白がるような声に、何と返したものか迷う。お互い様ではないのかと言いたくはあったが、より珍しいのは確かに自分の方だった。
 予報通り、二日ほど降り続いていた竜宮島の雪は、今朝になって止んだ。地上がどうなっているのか確かめたい気持ちもあったし、ただ冷えた空気を吸い込みたかったのかもしれない。
 芹の腕には、寒椿があった。さきほど総士が見つめていた鮮やかな赤。まだ切り取ったばかりなのだろう枝葉が瑞々しい。
 彼女がこうして急いている時、その目がきらきらと輝いている時は決まっていた。総士に挨拶をしながらも、彼女の目はすでにその先を見ている。
 あまりにも真っ直ぐなその想いを隠すこともしない様子に、別の馴染み深い存在がつい重なる。どこか面映ゆく、気恥ずかしささえ覚えるのは、それでいてどうしようもなく心が温まるのは、きっと彼らの抱く感情が、同じ色と温度を湛えているからなのだろう。
 目を細めて、芹に尋ねる。
「見せに行くのか」
「はい。とても綺麗に咲いたから」
 芹ははにかむように笑んで、胸の寒椿を支える腕にそっと力を込めた。
「この色、乙姫ちゃんに似合いそうでしょう」
 彼女は、島のコアに命を見せに行くのだった。皆城乙姫によって維持され、育まれている島の命を、その小さなものからすこし大きなものまで。いかにそれが美しいか、喜びに溢れているか、そのことにどれだけ皆が…自分が感謝しているのかをわずかでも伝えるために。
「はい、総士先輩も」
 腕の中から葉のついた一輪を差し出されて、総士は目を瞬かせた。
「僕にか」
「総士先輩にも分けたって話したら、きっと乙姫ちゃんも喜んでくれます」
「…遠慮なくいただこう」
「ツバキ…わたし大好きなんです」
 総士が赤くかじかんだ指先からツバキを受け取ると、芹は目を伏せて口元を綻ばせた。
「命そのものっていう感じがするから」
 ――なによりも、乙姫ちゃんを感じる花だから。
 いとおしむように寒椿を抱く彼女の姿は、彼女の生きる在り様そのものだった。
「行ってやれ、立上」
 総士は口にした。どんなに苦しくとも一瞬の生を選んだ乙姫が、友達と呼ぶことを許した存在。
芹に対して総士が抱く、誇らしさとほのかな寂しさと、何よりも深い感謝の想いは、乙姫の肉親としての情だ。
 乙姫といてくれたことを感謝している。今も、そしてこれからもそうしてくれるのだろうことに。





 ――ねえ、総士。話そう?
 時折口癖のように、乙姫は総士にそう言った。言葉を発するとき、息を吸い込み、肺が動き、声帯が震えて音を出す。そのことが奇跡のようで、楽しくてならないのだと言った。
 学校で、芹や里奈と一緒に、自分の声を録音したのだといって、音声データを聴かせてくれたこともあった。わたしはこんな声をしているんだねと驚きながら首を傾げる様子は、年齢相応の少女そのものだった。
 島を知るため、そして自分が学んだことをミールに教えるため、乙姫はいつも動き回っていた。一つところには留まらず、幼子の好奇心そのもので、目に映るもの、耳にするものをすべてを吸収していった。
 服の脱ぎ着が難しいといって笑い、食事をするための箸がうまく扱えないと喜んだ。走って転んだときも、痛いねと言いながら嬉しそうにしていた。出来てしまった痛々しい擦り傷に、総士が絆創膏を貼ってやったとき、いつまでもそれを上からなぞっていた。

 ――ありがとう、くすぐったいね、痛いけど、優しいね。不思議だね、総士。

 五感で感じるすべてを、乙姫は腕を広げて受け入れていた。

 ――全部が私になるの。
 ――全部で私になるの。

 幸せそうな微笑みさえ浮かべて彼女は言った。生きることすべてを幸福と呼んで。

 ――全部、覚えておきたいな。だから教えて。もっと話して。

 話そう、お兄ちゃん



(続く)



《ティル・ナ・ノーグの旋律》

「一騎?」
 予定に合わせて楽園の前にたどり着くと、通りに面した大きな窓ガラス越しに一騎が一人きりで窓際の椅子に腰かけているのが見えて、カノンは首を傾げた。
 外から確認した限り客は一人もおらず、溝口や真矢もいない。
 入口にかけられた黒板はランチタイムのままだ。メニュー看板もしまわれていない。時計を見ればあと十分でランチタイムは終了の予定だった。
 カノンは少し考えてから、黒板に準備中と書き換える。看板を抱えると、音を立てないようにそっと扉を開けて楽園の中に入る。軍人として訓練された動きは、扉に付けられたドアベルをほとんど揺らすことなく、カノンは目的を達成した。入ってすぐの植込み越しに店内を覗くと、一騎は一人、テーブルに片肘をついた姿勢で椅子に座っていた。眠っているように見えたのでそっと入ることにしたのだが、やはり眠り込んでいる。視力が衰えた分、もともと鋭い感覚がさらに磨かれている一騎がカノンに気づかないということは、相当深い睡眠に落ちているのかもしれない。
 ――体調が悪いんのだろうか。
 ショコラにしーっと呼びかけ、足音に注意しながらそっと壁側の席に移動すると、音を立てないように最新の注意を払って椅子に腰かけた。まだ約束の時間まで少しある。なら起こすのはもう少しあとでもいい。
 ふうっとため息をつき、ショコラを見やる。ショコラはカノンの足に鼻を擦りつけてから、椅子の足元にゆっくりと寝そべった。
 小さく笑いを零してから、カノンは改めて窓辺で微睡む一騎の姿を眺めた。
 大きな窓から差し込む柔らかな光が室内に反射して淡くオレンジ色に輝く。眠る一騎の身体をその光が優しく縁取っていて、どこかこの世のものではないような雰囲気を作り出していた。触れることさえ許されぬような神聖ささえあった。
 一年もの間昏睡状態に陥り、生命維持装置の中で眠りについていた一騎の身体は以前より明らかに筋肉が落ち、半袖とハーフパンツからひょろひょろとした手足が伸びていた。未だに同化現象が進み続けていることもあってか十六という年齢にはあまり見えず、彼だけが十四歳のまま取り残されているように思える。
 色素の抜けた白い肌。かつて少年らしく綺麗に日焼けしていた色はどこにもない。髪ばかりはもとの色艶を取り戻したが、今の白すぎる肌に一騎の伸びた黒髪はいくらか鮮やかすぎた。こうして身じろぎもせず目を閉じていると、精巧な人形のようにさえ見えてくる。そして閉じた瞼の下には恐ろしく鮮やかな真紅の瞳が隠れていることをカノンは知っていた。
 それでも、一騎が今こうしてここにいることがカノンには重要だった。北極の地で失ってしまうのか、二度と島に帰ってこないのではないかと恐れた日はもう過去のことだ。
 一騎がここにいる。自然と口許が綻んだ。思わず名を呼びかけようとしたとき、不意に空気が一変した。一騎を取り巻く空間が揺らぎ、ついでひたりと静止する。
 ――なんだ…?
 まるで自分だけが切り離されてしまったような錯覚がカノンを襲った。すぐ先、椅子二つ分ほどしか離れていないはずの一騎がひどく遠く思える。まるで水槽越しに見ているかのような。深く閉ざされて声一つ届かない世界。――無の、境地。そこに一騎を囲われてしまったように思えて、カノンはじわりと背中に冷たいものが這うのを感じた。







 幼い頃、まだ故郷に家族が身を寄せ合えるだけの小さな小さな幸せが残っていた時、母がカノンに教えてくれた話があった。
 世界はこんなに暗くて悲しいけれど、そんな世界のどこかに、常世の国があるのだと。遥か西、遠い遠い海の彼方に、美しい国があるのだと。そこでは争いもなく、病にかかることもなく、飢えることも渇くこともない。
戦いに疲れ果てた者たちを癒す楽園なのだと。
『それはなんていうところ?』
 もう顔もほとんど思い出せない母が、ほっそりとした手でカノンの赤毛を撫でながら、歌うようにその場所の名前を口にした。
 音楽の旋律を思わせるその音はカノンの心に刻まれたけれど、故郷と家族を失ったときに、胸の奥の奥に封じられた。
 年齢も性別も関係がなかった。生きることが正義だった。その正義を侵すやつが敵だった。だから殺した。それが当たり前だった。不幸にも生き延びてしまった自分は、せめて命令に忠であることで命を費やすしかなかった。少女の小さな手で武器を扱うのは苦痛が大きかったが、訓練と努力で使ってみせた。
 心はいらなかった。自分というものは踏み潰した。今ある命と命令さえあれば良かった。
 カノン・メンフィスという少女など、この世界のどこにもいなかったのだ。あの日、選べと呼びかけられるまで。忘れていた自分の名前の意味を思い出し、その名を正面から呼ばれるまで。
 ――母さんが教えてくれた通りだった。
 ――楽園はあった。この世界に。戦いに手を汚し続けたこの私さえ受け入れてくれた。
 この場所を失えるはずがない。

 たとえそこに、もう自分がいないのだとしても。


(続く)



《たったひとつの》

「皆城くんはずるいなあ」

 そう言って、ざくっと遠見がフォークでタルトを突き刺した。
 僕の前でタルトを頬張り、もぐもぐと咀嚼しながら、更にざくりとフォークを突き立てる。

「やっぱり皆城くんはずるい」

 一口を飲み込んだあとにもう一度そう言い、またザクザクとタルトを突き刺している。
 いったいどうしてそんなにタルトを突き刺すのか。生地が固めでざっくりしてるからだとかなんとか言っていたが、食べながら口にする僕への言葉が不穏すぎる。
 僕はひたすら無言でコーヒーを飲み続けていた。
 一騎はいない。暉もだ。一騎は一度自宅へ戻ったとかで楽園にはおらず、暉は先ほど買い出しに出てしまった。ランチタイムの終了間際に楽園を訪れた僕は片づけを手伝わされた挙げ句に、一騎が戻ってくるまで遠見と二人で休憩を取っている。
 休憩中の遠見は、僕の前でブルーベリータルトを食べていた。暉の試作品だというそれは、そうとうに気合を入れて作ったものらしく、少なくとも見た目は十分に美味しそうに見えた。ブルーベリーの紫が窓から差し込む光の下でつやつやと輝いている。
 一騎に負けないと常日頃から宣言し、カレーを作っていることは知っていたが、まさか洋菓子にまで挑戦していたとは知らなかった。このところの楽園では、人の出入りが多い週中のデザートはミカド屋の息子である御門零央に依頼しているが、ときどき以前のように一騎が作っていることもある。レシピさえあれば、例えなかったとしても、およそなんでも作ってしまう一騎の腕前には恐れ入るが、そこに食らいついて実地で料理を覚えていく暉も大したものだ。以前、極めて普通と評価したが、それは一騎と比較してのことであって、暉の作るものは平均的に美味しく、おそらく誰の舌にも馴染むものだろう。
 タルト生地は少し焼きすぎたようだが。

「なにがずるいんだ」

 ずるいずるいとひたすら繰り返されるのに、これは反応したら負けなのではないのだろうかと思いつつも、遠見を前にそうも出来ず、僕は観念して口を開いた。
 遠見がちらりと目を上げて僕を見た。やっとかかったと言わんばかりの目つきだった。

「だって、一騎くんは一人しかいないのになあって」
「それは当たり前だろう」

 遠見は、一騎が何人もいてほしいのだろうか。ぞっとしない。あんな男が何人もいたら、たまったものじゃないだろう。僕個人は一騎の人となりを好んでいるが、一騎は一人で十二分だと思う。仮に一騎が二人になったとして、喫茶楽園の二号店が出来て溝口さんが喜ぶことくらいしか利点が思いつかない。
 何人もいる一騎を思い浮かべて眉を顰めていると、遠見が何を馬鹿なことを言っているのかと言わんばかりの目で僕を見た。

「やめてよ、一騎くんは一人だからいいんじゃない」
「…そうだな」

 遠見も僕と同意見だったようだ。だが疑問が残る。

「どうして一騎が一人であることと、僕がずるいことが繋がるんだ」

 遠見がぽかんと口を開けた。

「うわあ、自覚がないんだあ」

 やっぱりずるいなあと同じことをまた言う。

「今、ケーキ食べながら思ってたんだけどね」
「…ああ」

 もはや次にどんな言葉が飛んできても驚かない。一騎もだが、遠見も脈絡のない台詞を唐突に繰り出してくる。一騎と遠見の会話は、おそらく二人の間でしか通じないものだ。遠見の洞察力と、一騎の鷹揚すぎるぐらいの受け身の姿勢が相乗効果を生んだ結果だ。カノンが、二人のやりとりを見ながらなんだかすごいなとしみじみ感心していたのを思い出す。
 もはや諦念の観とともに、僕は遠見の次の言葉を待った。

「一騎くんが皆城くんにってケーキをワンホールくれたら、皆城くんは食べるでしょう」

 飲んでいたコーヒーを喉に詰まらせかけ、僕は数度咳き込んだ。…待て。どうしてそんな話になった。
 そして、一騎から差し出されるワンホールのケーキを想像して僕は沈黙した。しばらく考えてから僕は答えた。

「…いくらなんでもワンホールは多いだろう」

 いったいどんな罰ゲームだというのか。シチュエーションが怖すぎる。さすがの一騎も…いやないとは言いきれないのが一番怖い。とりあえず保存方法から探す必要がある。その上で日数と、一日あたりの消費量を考えなければならない。ケーキがどういうタイプなのかにもよるが。

「皆城くん、今、どうやって食べようか考えてるでしょう」

 悶々と思考していた僕は、その言葉に顔を上げて、遠見をまじまじと見た。遠見の顔は、思いのほか真剣なものだった。

「それは…一騎が作ったものなら」

 当たり前だろうと口にすると遠見は笑った。ほらね、とおかしそうに。彼女がどうしてそんな言い方をするのかわからず僕は当惑する。

「遠見はそうじゃないのか」
「あたしはね、きっともったいないって思っちゃう」

 食べることを考える前にそう思うと遠見は言った。

(続く)


《かなたへの誓い》





 くしゃりと目を細めて笑ったあと、操はふいに穏やかな表情を浮かべた。

「ねえ、美羽。君は悲しいの? つらい? それなら俺が君を食べてあげるよ。そうしたらもう痛くなくなる。それに俺は君の力がもらえてうれしい。どう?」
「だめ。最初に約束したでしょ。まだ、だめ」

 時々、操はこんな提案をしてくる。だが、その度に美羽は断った。まだ駄目だと。約束の時まではできないと。
 簡単にはあげられないのだ。母が認めてくれた力だから。素晴らしいと言ってくれた。やっと分かってあげられたと。
 かつて大勢いたエスペラントは、海神島に辿りつくまでにほとんどいなくなってしまった。エメリーも、美羽を残してアショーカのもとに帰っていった。
 今、島にいるエスペラントは実質美羽だけだ。この二年で新しく生まれた命の中には、高いエスペラントの能力を持つ子供たちが幾人かいるというが、彼らが対話できるようになるには、まだ時間が必要だろう。
 この力が本当に世界の役に立って、不要になったら。その日がきたら、美羽はちゃんと約束を果たすつもりでいる。ただそのときがいつになるのか、それだけは美羽にもわからない。

「美羽、痛いのも悲しいのもこわくないよ。それは美羽が生きてるってことだから」

 寂しくはあるけれど、それを埋めてくれる人たちもいる。大切な家族がいる。美羽を抱きしめてくれる人が。なによりこの痛みは、誰にもあげられない。自分だけのものだからだ。
 ふぅんと、操は洩らした。

「君は難しいことをいうんだね」

 それからくすくすと笑いだす。彼はいつだって子供のように笑った。

「それでも君と話すのは楽しいよ。君はちゃんと言葉で俺に接してくれるから」
「だって、あなたは口でおはなしできるでしょう」

 美羽は声を聞くものだ。話す術を持たない存在に耳を傾け、その心にあるものを読みとる。そしてこちらの思いを伝える。だが、言葉を持つ相手には言葉によって対話する。交わす内容や情報量はその時々で大きく変化するが、ただそれだけの違いだ。方法が異なるだけであって、対話することに違いはない。それが美羽にとっての《おはなし》だ。

「そうだね。だから俺は楽しい。君は?」
「あなたが楽しいから、美羽も楽しいよ」
「なら、良かった」

 にこりと、光が射すように操は笑う。言葉によって対話することを選んだフェストゥム。彼のような存在を生み出したのは、皆城総士と真壁一騎によるところが大きい。そして、来主操によって、彼らが…竜宮島が得たものもまた、大きかった。

「言葉で対話すること、俺も大切にしたいから」

 《俺》がそう教えてもらったから、と操は言う。そして出会うとき、彼はいつも必ずつけ加えるのだ。

「ねえ、美羽。空がきれいだね」

 晴れているときも、曇っているときも、雨や雪が降っているときも、彼は同じようにそう口にする。心から楽しそうに目を細めて。澄みきった蒼い空がいちばん好きだけれど、でもそこに空があるというだけで、厚くのしかかった雲の向こうに覚めるような蒼があると思うだけで、嬉しいと操は笑うのだ。

「うん。美羽もそう思うよ」
 ――本当に、そう思うよ。

 空を綺麗だと思うフェストゥムが、それを伝えようと…誰かと共有したいと願うフェストゥムが他にも増えたなら、人とフェストゥムの関係も更に変化していくのだろうか。
 美羽の思考を拾い上げるように、操が言った。

「大丈夫だよ。俺は待てるから。君が願う未来が来るまで待ってるよ。俺は、世界の果てが見たいから」
「果て?」
「そうだよ。世界の果てにある空を見るんだ」

 まだ誰も見たことがないはずだと、操はあどけない顔で笑う。

「きっと、すごくきれいだろうな。君はそう思わない?」

 美羽も想像をしてみる。悲しみも痛みもない世界に広がる空は、確かにきれいだろう。
 にこにこと笑いながら空を見上げるフェストゥムの心は、まるで空そのものだ。いや、空とも海ともつかない。いっさいの境界をもたない無限の世界だ。フェストゥムは果てを知らない。普通の人間には持ちえない心象の空を、美羽は素直に美しいと思う。

「じゃあ、行こう美羽」
「どこに?」

 突然の操からの誘いの言葉に、美羽はきょとんとして目を瞬かせた。

「楽園でしょ。君も行くんじゃないの?」

 そう感じたけどなあと首を傾げる操に、美羽は少しふてくされて釘を刺した。

「…言葉で伝えるって言ったのに」
「心を読まなくたってわかるよ」

 俺は推測することを理解したからね、と操は晴れやかに笑った。

(続く)



2016/01/20 pixiv up
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